パワハラ問題で渦中の兵庫県の斎藤知事。
ボールペンのインクがスムーズにでない、
公用車で降ろされた場所から少し歩かねばならなかった、
些細なことで激昂する斎藤知事。
自分の想定外のことなどでパニックになり癇癪を起してしまう。
共感性が欠如し相手の立場に立てないため、
どうして問題となっているのかあまり理解できていないご様子。
河野太郎氏マイナ保険証のゴリ押し導入。不具合の責任は取らず、全てを医療機関のやり方が悪いと宣う。
怒鳴りちらし、相手の言うことは無視し、自身への批判には目が座ってしまう。
アスペルガー症候群(自閉スペクトラム症)ではしばしば認められる特徴です。
自閉スペクトラム症の特徴には共通点はあるものの、一人として同じではない。
素直で真面目で一生懸命な人から独創的な芸術肌の人まで千差万別。
自閉スペクトラム症の傾向があるだけでは、人に害悪を及ぼすことはそれほどないのではないかと思う。
むしろその能力が人を感動させたりすることも少なくない。大人しく、繊細な愛すべき人かもしれない。
アスペルガーと言うのは今は使用しない言葉だが、自閉スペクトラム症の中でも、知能が高く、言葉が達者なタイプを指すイメージだ。東大生に少なくない、と感じている。
私には東大出身の友人や知人がわんさかいる。全員を敵に回すつもりは全くない。みんなが斎藤知事でも河野太郎氏でもない。
私も何かの間違いが起きていたら、東大生になっていたかもしれない、笑。
私はかなり捻くれた若者だったから、周りから東大に行けと言われれば言われるほど反発した。
東大至上主義なんてくだらないと若造は思っていたため、あえて東大を受験しなかった。
関西に行こうと思ったが、アクシデントがあり結局大学受験は大失敗してしまった。東大医学部は受けていれば受かっていたかもしれないが王道なんて行くもんかと(負け惜しみ!?笑)
発達障害というのは、語弊があるかもしれないけれど、能力の凸凹が著しい傾向にある人のことを指す、とも言える。
例えば、勉強は2学年上、精神年齢は2学年下、運動神経は3学年下とか。
精神科での正常か異常か線引きは難しいが、
イメージ的には正常は真ん中、平均、普通、ノーマル、これと言って特徴のない、そのようなイメージ。
異常は真ん中や平均から離れている、とんがっている、突出している、際立っている、得点が高すぎる、低すぎる、大きすぎる、少なすぎるというイメージ。
だから、勉強が飛び抜けてできるというのは、精神科的には、アブノーマル、発達特性が偏っている、そのように捉えることもできる。偏差値80は異常、偏差値50は正常、偏差値38も異常、そのような区分けになるかもしれない。
勉強だけ異常にできるというのは、発達特性としては偏っているのだ。東大生にアスペルガーが多いのではないかとい話はよく聞くが、その根拠になるのではないか。
一方で、なんでもできる人もいる。勉強もできて、人付き合いも上手、運動も抜群、生活能力もある。
これは発達のばらつきはないので、発達障害とは言えないだろう。所謂オールマイティな人、スーパーマン。
私の友人・知人にもこのようなバランス型マルチハイパフォーマンス型東大生が少なくとも3人いる。
やっかいなのはアスペルガーだけではなく自己愛性パーソナリティ障害が併存している場合。
これは自分のことを過信し、ぬぼれて周囲を見下し、他者を自分の駒として物のように扱う特性のことです
世襲議員で東大に進んだ人は、幼少期から自分は身分の高い人間で特別な扱いを受けるべきだと思い込んでいる。
確かに学力は優秀で東大に入ったのだろう。
だから何か得意な分野をやらせたら素晴らしい能力を発揮するかもしれない。
ただ、大学受験で人より相対的に点数を取れるよう訓練し、それができる能力があったと言うだけ。それ以外の能力は全く評価されていない。
それにもかかわらず、自分は万能だ、全てに優れている、人間として人より上のランクにある、そのように思い込んでしまっている。
だから自分は特別扱いを受けて当然だ、自分はトップに立つ人間だと思い込んでいる。東大の中にはこのような東大病にかかってしまた人を時々目にする。
彼らのような思考に偏りがあり、一方的な考えの押し付けしかできず、さらに万能感が過剰でトータルの人間性は学力と比べて幼稚な人間は、共感性も低く、人を見下し、モノのように扱う。
自分のような優れた人間の言うことを国民は従わなければならないと本気で思っている。このような人たちは絶対にリーダーにしてはいけない。ヒトラーを作り出すのはもうやめよう。
どうして学歴社会に綻びが生じてきたのか?
こう言うことがわかってきて、もう東大病アスペルガー症候群の官僚や医師にみんなうんざりしてきているからだよ。