皆さまは粒あん派ですか?
それともこし餡派?
私は若い時はこし餡、今は断然粒あん派です!
和菓子屋有名老舗の息子さんと私でそれぞれ一番美味しいと思う栗蒸し羊羹を出し合い、どちらがうまいか毎年対決しています。
あんこにはこだわりがあります。
あたらしさんの大宮盆栽最中。
あんこは素晴らしく美味しい。
そして皮は香ばしい焼きが入っている。
賞味期限は短いですが、衝撃の美味しさなのです。
埼玉県人として誇れる逸品とお店です。
つづき。
おふくろの味って表現よく耳にしました。
最近はあまりそういう表現しませんか?
味噌汁の出汁の取り方が家庭それぞれだと書きました。
でも世の中の親の中には自分のことで精一杯でこどもへの愛情表現として料理にエネルギーを注ぐこともできない方もいます。
手料理は愛情表現の中の一つの行為であり、全てではありませんが、もっともわかりやすい行為でもあります。
家庭が荒れていて、料理なんて作ってもらえなかった、そんな生育歴の人は愛情に飢えているかもしれません。
かくいう私は大学生の時の家庭教師のアルバイトで愕然とした記憶がありました。
アルバイト先のお母さんが手料理を振る舞ってくれました。こんなに美味しいものをいつも食べているのかと大変驚いたのです。ご両親がそのお子さんをとても大事にしているのが伝わりました。
味噌汁が美味しいものだとはじめて知ったのです。
私にとってのご馳走は、お弁当屋さんのノリ弁当であり、いつも食べるペヤングのカップ焼きそば、エースコックのカップワカメラーメンだったのです。
まあ、そのおかげで今の私は好き嫌いもなくなんでも食べられます。不味いものだって目の前にあればとりあえず完食できます。
いいのかどうかわかりませんけれど、笑。
精神分析的なお話。
だいぶ前にも何度か書いた内容ですが、、、
食べ物は親からこどもへの愛情の証し。
こどもが健やかに育つように、
愛しいこどもに、母乳を与え、食べ物を与え
愛情を伝えます。
味噌汁の出汁はそれぞれの家庭の味。
手間暇かけて美味しいものを食べさせたいと工夫します。
こどもはその愛情を口から取り入れて成長していきます。
多すぎてもだめだし、少なすぎても飢えてしまう。
過食も拒食も他者からの愛情の取り込みに課題があります。
他者への警戒心が強いASDの傾向がある人の中には偏食が多く認められるし(本来は味覚過敏によるのだけれども)、他人のおにぎりや手料理が食べられないという人も少なくありません。
食べ物と薬は全く違うものだけれど、同じことが言えます。
信頼できる医師の処方薬は飲めるけど、信頼してなければ飲めない。
また人を信用できず、全てをコントロールしたいという人は医師の処方通り服薬せず、自己流の飲み方をし、医師のアドバイスを聞きません。
逆に医師から見れば、薬は患者さんへの治療という愛情の表現でもあります。
患者さんが健やかになるように、考えぬいて、
なるべく毒が入らないよう最善をつくす。
過量であってはならないし、効かないものもいみがない。
どんな薬を処方するのか、それを決定するために、患者さんの詳しい細かなことまで力を振り絞って把握し、調合(調理)するのです。
開院当初から常に意識してきたことです。