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7月 25, 2019

虐待親。毒親。

千葉県野田市の栗原心愛ちゃんが父親からの虐待の末殺された。

これは氷山の一角である。精神科に助けを求めに来る方のうち、被虐待の経験がある方が散見される。

身体的虐待として、親から殴る蹴る平手打ちなどの基本形から、包丁を突き付けられたり、雪国の夜に外に放り出されて放置されたり、暗い納屋に鍵をかけられ閉じ込められたり、熱湯を首からかけられたり、、そういう事案を経験することがある。実の娘にわいせつな行為、性虐をおこなう「人でなし」「鬼畜」もいる。実の息子に嫉妬して、徹底的に攻撃する愛情欠如者もいる(親が子供に自然に抱く愛情というものを知らない)。

身体的虐待のようなわかりやすいもの以外でも非常に毒性の高いものがある。毒親に関しては、私の先輩の水島広子先生の「毒親の正体」をご覧いただきたい。ちなみに過干渉、過保護も虐待の一種である。

 

基本的に虐待親には屈折した思考がある

 

1.自分は親だ、お前は子だ、だから親を敬わなければならない、いうことをきくべきだ、子供が何歳となろうたも(こどもは親の所有物ではない。なんでも言うことを聞かせられるわけがない)

2、自分は虐待なんかしていない、ちょっとしつけただけだ。教育のためだ。むしろ愛情だ。だれかに指摘されたり非難されるようなことはしていない。(教育でも愛情でもない)

3、 過去のことは、いちいち持ち出すな、もう終わったことだ(虐待の影響は一生続き、苦しむ)

4.私だって昔は同じことをされた。それでまともなんだから、問題ない。(同じことをされたから、こんなふうに暴力的な対人関係になったのだ。まともではないし、問題だらけだ)

そのため、虐待親に虐待を指摘したところで逆切れされておしまいとなるだけだ。

根っこから腐ってる虐待親の場合にはつける薬はない。

やはり逮捕するしかないだろう。

 

虐待親の背景には虐待の連鎖、発達障害、人格障害などが絡み合っていることがおおい。

共通点としては、「共感不全」がある。人の気持ちがわからない。人の痛みや苦しみをまったく感じない。

それゆえ、子供や家族が最大限に苦しんだり苦痛に思うことを平気でやってのけてしまう。

人間の血が通っているとは到底思えないひどい仕打ちを平気でする。

それにもかかわらず、自分が感じた苦痛は大げさに訴え、被害者意識がとても強いことがある。

近くにいる家族はとても迷惑である。

そして大概、虐待親は外部の人間ともしばしばトラブルを起こす。

人を刺して刑務所に入るとか、趣味の仲間ともめて仲間外れにされるとか、いろいろある。

家族はまた世間で肩身の狭い思うをするのである。

 

それでも、本人は反省しない。自分を変えようとしない。人を思い通りに変えようとすることにしか関心を払わない。

 

これは医療では治らない。

今のところ厳罰を与えて犯罪を抑制していくことしかないだろう。

 

詳しいことを言えば、虐待親のさらに親はどうだったかとか、温かく接すれば解決するのかとかいろいろ言う人はいるが、

そう簡単なもんではないです。

 

私は虐待に対して怒りをもって取り組んでいます。

 

 

一方、30-40代の女性が、時々赤ん坊を虐待してしまいそう、というSOSを出してくることがあります。

自分で虐待を食い止めようとして、自分を変えようとしている。

とてもすばらしい。もはやこの状態までくれば虐待とは言わないで良いかもしれない。