お会いした時から、明晰な頭脳と向上心とど根性をリスペクトしておりましたが、F先生はやはりすごい。
勝手ながらあの頃から私はさらに次の段階を想像していました^^
*特定の方向けのブログですみません。
先日総合病院でご指導いただいた先輩からメールを頂戴した。
「年を取るとだんだん自分のことができなくなる。
やりたいことはやっておくことです。」
まさに仰せの通りだと思う。
人生はあまりにも短い。
明日には命がないかもしれない。
ここでは、「人はなぜ生きるか、何のために生きるか」という話はできないし、しない。
ただ、どうせ生きるなら、少しでも楽しかったとか、良かったとか、満足した、幸せだったとか思って死にたい、と私は思う。
楽しい時間は本当に短い。
個人的にお付き合いのあるクリエイティブ系の第一線でご活躍の方がこのようにおっしゃった。
「長生きしたいとか思わない。もう十分生きた。今死んでも良いと思っている」
1人だけの言葉ではないから、クリエイティブな仕事に共通する何かがあるのだろうか。
命は惜しくないと強がっている人の言葉とは違う。
アクセル全開で人生を満喫しているように見えるし、
一流のお仕事をされてきて、確かにやり切ったと言われたら納得してしまう部分もある。
創造するためには身を斬るような苦しみを伴い、エネルギーを使い果たしてしまったという感覚もあるのだろうか。
「今死んでもいい」
という言葉はいろいろな意味がある。
もう十分にやりたいことをやり尽くしたから満足しているのか、
希望が持てないから、生きるのが辛いから、お終いでも良いと感じているのか。
PTSDでも、「将来に希望が持てず長生きしたいと思わない」という症状を伴うことがある。
発達障害の一部の人は「生きる意味、目的がわからない」という。(彼らはしばしば、学校に行く意味がわからないと言って不登校になったり中退する)
また、死んでもいいと死にたいは同じではないが、境界性パーソナリティ障害の人の一部には「死にたい」と発することで同情してくれる人の心を操作しようとする人もいる。
はたまた、藤井風の「死んでもいいわ」かもしれない?。(歌詞の中にある「あなた」は藤井にとっての「理想の自分」出そうだ。多分、みんな違う受け取り方で聴いていると思う)
私もいつ死んでもいいと思っていた。
バイクで危険なレースもしたし、キックボクシングもかじった。
バイクレースで切れた走りをする人は、やはり死への恐怖感がない、ぶっ飛んだ人だった。
心の中に切れ味の鋭いナイフを抱えているように感じた。
私は実際に死ぬかもしれない状況になったことがある。
よく聞く話の通り、今までの人生が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。
最後の瞬間だと思った時、それまでに世話になった人、愛情を分けてくれた人に「ありがとう」と心で唱えた。
私の知っている人のなかでも、いわゆる“生還”した人が何人かいるが、その方達は「一度失った命。もう1回もらったと思ってありがたく頂戴し、どんどんやりたいことをやっている」と教えてくれた。
やりたいことをやるって難しいことも沢山あるけれど、忘れないようにしたい。
しかし今回は、ちょっと違う視点で。
やりたいことをやるという視点を反対から見ると、
やりたくないことをやらないということも大事な要素である。
やりたくないことに人生の時間の殆どを費やしている場合ではない。
もちろん、社会で生きているのだから、責任や義務はある。
他人を侵害しない範囲で、ということになるが。
やりたいことをやる時間を作るにはやりたくないことに費やす時間を最低限にする必要がある。
基本的に、自分が正しくないと思っていることはやらないようにしたい。
私も今の自分の価値基準で正しくないと思うことは昔はたくさんやって来たと思う。
結局自分が正しいと思えないことをやり続けるのは、自分を損なうことにつながっていたような気がする。
悪いことをした後悔や恥の気持ち。
会社の利益のために、正しくないことを正しいと正当化して無理してやっていた自分。
正しいか正しくないかなんて正解はない。法律では正解があるかもしれないが、
国も変われば、正しさも違う。
ロシアや中国、北朝鮮など横暴な国のすることは正しく見えないが、彼らは自分達が横暴だとは思っていない。自分達こそが正しいと思っているはずだ。
話が通じない人といくら話しても通じないことが多い。エネルギーと時間の無駄という事も言える。
私がクリニックの仕事でやりたくないと思っているのは、障害者年金や診断書にまつわる不正である。
コロナ禍で、コロナ給付金を騙し取る詐欺が横行した。
国の金だと思うと政治家の皆様はいくらでも無駄遣いするし、
給付金詐欺の心理的ハードルも下がるのかもしれない。
障害者年金の受給でも不正が横行している。
色々なパターンがある。元々障害の程度や病気の種類から障害者年金に該当しない方が、医師に嘘の申告をして診断書を得るか、作文を強要するか、社労士を使って金を積んで年金を勝ち取るというパターン。
あるいは当初は障害が重くて年金相当だったが、現在は軽快して給料も得ており、年金に該当しないが、継続して年金を得るために医師に作文を強要するパターン。
医師もお金になるから、あるいは患者さんにいい顔をしたいから特別な計らいで診断書を書いてしまうこともあるようだ。
61nandemoは給与所得があり、しかもダブルインカム。現状としては障害者年金受給に該当しないはずだが、画策し私を操作しようとしたが、それに寄り添わなかった。
私はありのまましか書かないことにしている。
不正に加担することは自分も傷つけることになる。
私は頑張っている人を応援したい。
社労士がらみの不正というのは別のパターンもある。
知的障害などの障害者年金の診断書作成について。
私の知る限りでは障害者年金診断書の作成料金は一般的なクリニックで1〜2万円程度である。
本人(保護者)の生活状況自己申告書もあるが、患者さんにそれを書く能力がない時は手伝ってあげる時もある。
通常はそれで足りる。
しかし社労士の一部にはネットで障害者年金をより多く勝ち取れることを宣伝して客を吸い寄せている。
社労士も成功報酬を多く手に入れるために医師に作文を強要してくることもある。
手付金のほか、成功報酬と称して合計数十万円に及ぶことも少なくない。
貧困ビジネスの中でもこれはひどいと私は思っている。
私は社労士の不当な介入を一切許容しない。
もちろん、私の知っている社労士さんはとても善良な方であるし、これは一部の悪徳社労士の話である。
何が正しいかは正解はないが、私が正しくないと思うことはなるべくしないようにしている。
正しいってどうよ。
当院は一般的な病院に比して待ち時間が著しく少ない医療機関であることは、他院に通院されていた方はよくご存知かと思います。
どうしてそれが可能なのでしょうか。患者さんが少ないからというわけではありません。
まず私自身、病院や銀行で長時間待ち、一日を費やしてしまうような状況には不便を感じていました。
確かに、オンラインではなく、わざわざ診察を受けに出向いていくという一見無駄に見える行為が実は治療においてとても重要な治療促進因子であります。
しかし、当院では患者さんの待ち時間を極力短くすることで、皆様のかけがいのない人生の時間を無駄にしないように努めたいと工夫を重ねてきました。本当にご多忙な方ほど先々のスケジュールを管理し限られた時間を有効に使っておられ、相手の時間も大切にします。人生の時間には限りがあり、一コマ一コマの時間がかけがいのないものだと知っているからです。
待ち時間の短縮のためには完全予約制にすることが第一段階で必要になります。
ただ、症状が悪化したり、家族面談が必要になるケースもあります。
そのため、変調があればご連絡をいただき、しっかり対応できる時間帯へ予約変更していただきます。
さらに、病状や初診からの期間、診療内容、採血の有無などによって診察にかかる時間をそれぞれの患者さんで見積り、予約時間を調整するなどきめ細やかな調整を行なっております。
これを成立させるためには皆様に予約時間を守っていただくことが前提となります。
しかし、交通機関の乱れなどでの遅刻やうっかり忘れなどは防げないという側面もあります。
全ての患者さんに対して予約時間と来院時間をチェックし、早すぎる方と毎回遅れる方などを統計を取って、それぞれの患者さんの予約時間を遅めに、あるいは早めに設定するなどの工夫もしております。
おそらくここまでやっている医療機関は他にないのではないでしょうか?あるいはできないかもしれません。
そこまでの努力を重ねて患者さんの貴重な時間を守っているのです。
中には、「縛られたくない」「好きな時間に来たい」と言う方もおられます。
またADHDなど段取りや時間の見積が苦手で遅刻しがちな方もおられます。
どうしても予約診療の構造に適応できない社会的機能の方もおられます。
予約時間を守らない人が増えたらどうなるでしょうか?混雑状況に偏りが生じ、
時間通りにご来院された方の予約時間が守られなくなります。そして、多くの機関で予約制が崩壊します。
相手の時間を大切にすると言う発想がない方もいます。
ADHDなどの症状がある方に対してある程度は配慮をしておりますが、遅刻を繰り返している方には時間の遵守のお願いをしています。
そうはいっても、遅刻は避けられない。
それよりも問題なのは、予約を完全に無視して毎回ふらっと予約外でいらっしゃる方もいます。
予約制で縛られたくないという方は、完全予約制の当院を受診することをご遠慮ください。
予約制でない機関もあります。そういった機関をお選びください。待ち時間は長いかもしれません。
良い悪いと言うより、どちらを重視するかと言う話でもあると思います。
また、初診で遅刻をされるという方は滅多におられません。通常の方は治療を期待し待ち望んで、準備して来られるからです。
当院では初診は真剣勝負の重要なセッションであると位置付けています。最初にボタンを掛け違えると、後で取り返しがつかなくなることもあるからです。大変なエネルギーを投じて初診を行なっていることは、それを体験していないと想像できないかもしれません。(受診してもピンとこない方もおられますが、、、)
それゆえ、大幅に遅刻し、しかもお約束した紹介状など提出されないなどの状況がありますと診療をお断りすることがあります。
色々なクリニックで、初診予約の無断キャンセルも問題となっています。予約料事前徴収→キャンセル料として損害補填としているクリニックもあります。
初診予約のお電話の段階で、無断キャンセルされる方をある程度見抜けますので、確実な受診の意志を確認することで当院では無断キャンセルはほとんど無くなりました。
当院が対応できる方は予約制をご理解してくださる方となっておりますこと、ご了承ください。
今日は朝から雨でした。
雨の日は気分が良くないという方も少なくありません。
私はむしろ雨の日は、インドアアクティビティが充実する日として捉えています。
夏休みシーズンということで行楽の方には申し訳ありませんが、勉強や読書など集中できるのです。
外が気持ちよさそうだと出かけたくなりますので、、、
昨日と今日2日間にわたり、16時間以上の研修がありました。
厚生労働省の児童思春期精神保健対策の研修です。
今後の診療のヒントを得られればと思っていました。
結論から言えば、方針転換に至るような知見は得られませんでしたが、
知識を再確認するという点では良かったと思います。
集団精神療法についてはあまり経験がなかったので、その点は新鮮でした。
児童思春期病棟での集団力動などのお話を伺い、研修医時代の気持ちが蘇り、初心に立ちかえります。
児童思春期はやはり多職種でのサポートが適していると再確認しました。
現状の当院の体制では児童思春期患者さんの効果的な治療を実践することは難しいと考えています。
ただ、大人の診療において、今現在の症状を横断的に診るだけでは十分な診療ではなく、その人の過去の人生を振りかえって縦断的に診ることは大人の診療でも重要ですから、児童思春期精神保健の知識は必須であると考えています。5分の初診で今現在の症状だけ聞いてパッと後戻りできないような種類の安定剤を出すというようなインスタント診療はやってはいけないと思っています。
逆に再診においては、時間制限なく患者さんのお話にお付き合いしてしまうと、患者さんの悪性の万能感を助長しかねず、患者さんの現実検討能力を低下させかねません。その点にも留意しながら必要十分な治療を心がけたいと思います。
限られた時間の中でも、精神療法(私はカウンセリングという言葉とは分けて表現しています)を重視し、当院のロゴマークに込めた想いを忘れないで診療を行ってたいと考えています。
認知行動療法では、健康行動という概念があります。やってよかったなと喜びや達成感のある行動です。どんな行動で気分が楽になったか、行動記録表を作成して自分自身にあった健康行動を探します。
私の場合は美味しいものを食べることが日常での行動活性化につながるのですが(笑)、同じ美味しいものでも、親しい方からの温かい贈り物であれば、喜びは倍増します。やはり根底には人との繋がりが感じられることが最大の喜びだと思うのです。
先日は親友のお子様の好物だという肉まんとシウマイをいただきました。お子様が美味しいと思うものを分かち合ってくださったその想いで胸がいっぱいになりました。
また、病院勤務時代に苦楽を共にし、学び、お世話になった師長さんから地元の野菜をお贈りいただき、とても美味しくいただきました。いつも全力で仕事をする私を心配してくださいました。
私は同期の皆と相談し、慶應の教授に就任された佐渡先生のお祝いを厳選しました。同じグループで研修を始めましたが、ここまで差がつきました、笑。同期との繋がりを感じて幸せでした。お祝いを手渡ししてくれたN教授、ありがとうございます。
どんなに人間不信であろうとも、根底では人との繋がりを人は求めているのではないでしょうか。それがいろいろな形で得られないときに不調を感じやすいのかと思います。
今日は台風&朝から雷。外出するのは躊躇われる天候です。
そんな中、厚生省認知行動療法研修がオンラインで開催されました。
雨風の中移動しなくても良いし、感染の心配もなく助かります。ここだけの話ですが、パジャマのまま参加しました、笑。
参加者全員がビデオオンにしますので、画面越しに恩師の大野裕先生のお目にかかれた上、同期の佐渡先生や中川先生の実演ビデオも見ることができ、楽しく研修を受けることができました。認知行動療法も20年以上前に学びはじめた内容からアップデートして変容を遂げていることを確認できます。
日々の診療を振り返ると認知行動療法の影響もかなり受けており、そのエッセンスがとても役に立っていると再確認できました。また、至らぬ点にも気がつくことができ、有意義なトレーニングになりました。
大事な点は認知行動療法は物事の捉え方をポジティブに変えるということではなく、情報を集め問題を解決する能力をのばすという目的であることです。
以前、パワハラを受けて適応障害となり会社と裁判をしている方を専門家として診察し、意見書を弁護士の先生と作成する機会がありました。労働に関する法的な知識を沢山教わりながら訴訟相手側についた精神科医とも闘いました。
その精神科医によると、患者さんは認知行動療法を受けて、パワハラと感じている認知を修正すべきだとのことでした。
しかし、実際にひどい上司に対して、いくら好きだと念じても、無理やりポジティブに捉えようとしても、実際にパワハラがある限り、気分が改善することはありません。
認知行動療法の使い方、理解が根本的に誤っていたのです。
その点も含めて、訴訟相手の論旨には綻びがあり、裁判に勝ったのです。
本人の考えに歪みがなく正しければ認知再構成を行うのではなく、パワハラをする上司や会社に対して弁護士など専門家と相談して問題解決にもっていくということが必要なのです。
ハイ、認知行動療法つながりで脱線しました。
なお、現在当院ではカウンセリングはおこなっておりません。また、裁判に関わる診断書作成や意見書作成は行なっておりませんので御了承ください。
こんばんは。
前回のブログは書いている途中で放置状態となってしまいました。すみません。
まあ、とにかく忙しいです。今日はごちゃごちゃなブログになりそうです。
世の中ではお盆休みに突入している職場もあるようで、「休みだから今日受診したい!」と言う初診希望の方の電話や直接来院が殺到しています。残念ながら予約が埋まってしまい、当日受診どころか8月中の受診も受け付けられません。ご期待に添えないことを申し訳なく思っています。
また、感染予防や職員の安全確保、通院中の患者さんのプライバシー確保のために、直接来院での初診申込やアポなしの業者さんの立ち入りは一切お断りしています。HPなど確認せず直接来院される方の中には、当日受診をお受けできないこと、内容は電話でしかお伺いできない旨をお伝えするや否や、暴言を吐いていかれる方も少なくありません。HPで初診についての手順を確認してきてほしい方ほど見てくれません。逆に、善良な方ほどHPをよく読んでくださり、受診をためらっていたり、遠慮されたりします。
ほんと、難しいです。
お盆休みの影響で電話が殺到して忙しさに輪をかけているのですが、私のお盆休みもかなりハードなスケジュールとなっています。
まとまった時間を要するトレーニングをいくつか入れています。一つは認知行動療法のトレーニング。ラッキーなことに私が慶應病院で研修医をやっていた時、アーロンベック博士の愛弟子の大野裕先生が大学でストレスマネージメントや認知行動療法を教えてくださったのです。日本での産声を上げたばかりの認知行動療法にはじめて触れることが出来ました。
その後も大野先生や私の同級生を含む大野先生のお弟子さんからも幾度となく認知行動療法のレクチャーを受けてきました。
認知行動療法の資格を取る寸前で忙しくなってしまい、ケースのスーパーヴィジョントレーニングを受けられなかったりして、何回も資格取得を逃してきました。もう資格はどうでもいいかと思いますが、お盆にみっちりトレーニングできるので頑張ります。治療にはとても役立つのです。
また厚生省主催の児童思春期精神科の講義なども2日がかりで受講します。
当院では児童思春期の診療を基本的におこなっていません。しかし関心がないわけではないのです。むしろ重要すぎると思っていますので、最近のトレンドを学ぼうと思っています。
実は私の師匠先生は一流の児童精神科医でした。先生の診療スタイルは児童の気持ちをしっかり聴いて、児童主体で治療するタイプです。児童に慣れたエキスパートの心理士が児童本人から話を聞きます。親に内緒にしてほしいことは基本内緒にし、母親的に優しく包み込みます。それがわかると児童は安心して本音で話してくれる様になります。主治医は児童の薬物療法や父親的な関わりをします。そして親からの話も本人とは別に聞きますが、基本的児童の側に立って診療します。児童には内緒ですが、心理士と主治医はお互いに情報交換をし、全てを把握し、どのタイミングでどんなことを親に説明するかなど綿密に打ち合わせます。虐待が疑われ、親に反省の意識がない場合は、対決して児相への通報も行います。
こんなことをやっているものですから、1人の児童に対して毎回1時間は平気でかかってしまいます。
虐待の自覚がある親は、児童に「今日は何を聞かれて何を答えたのか」尋問し、余計なことを言うなよと口止めします。
そい言うことにも注意を巡らせながら診療していくので、とても大変です。
以前、児童思春期専門外来をやっている医師にどのようなスタイルで診察しているのか聞いたことがあります。
彼が言うのは、子供の受診というのは基本的に親が受診させたいという親のニーズにある。だから、本人1人から本人の本音を聞き出しても仕方がない。親がどう困っているのか聞いてそれをもとに治療するだけなのでそれほど時間はかからないと言われました。
もし、毒母だったらどうするのだろうか?児童がSOSを出しているのに、唯一味方になってくれるはずの精神科医が親の言うなりで味方もしれくれなかったら。。。グレますよね。
良心的に児童を診ているところは赤字と言っても過言ではないと思います。他の部分でバランスを取るか、公的な資金が必要です。
開院当初は医師と心理士の一人二役をどうにかできないかと試行錯誤して児童の診療を行っていました。ただ、負担がかかりすぎて、他の方を診れなくなってしまいます。中途半端にみる事に抵抗感があり、受け入れを辞めました。時々、通院患者さんのお子さんをみてほしいと頼まれます。基本お断りしますが、まれに、まれに、専門医の診察までのツナギとして少し診てあげることもあります。専門医に繋いで安心したところ、結構いい加減な治療で、児童とその親からは私の方がちゃんと診てもらえていたと振り返る人も少なくありません。(もちろん手間暇をかけて診療したのですが)こんな治療で良かったのかと驚き、とても悩ましいところです。
今回のトレーニングでなんらかの解答を得たいと思っています。
さて、本題ですが、当院では開院以来睡眠に強い関心をもってまいりました。日本一といわれる睡眠センターと連携していろいろな症例を勉強させていただきました。睡眠センターの先生方にも当院のことを一目置いてもらえる様になりました。今までは睡眠時無呼吸が疑わしい患者のみに保険適応で睡眠の検査を行い、私自身でレポート作成しておりました。レポート作成が割と手間がかかり、業務を圧迫しているために、検査を率先してやりたいと思わなくなってしまいました。しかも、睡眠の機械がバカ高く、検査をいくらやっても、保険で決められた検査代が安すぎて、機械の寿命まで元を取れず赤字の検査なのです。儲けよりも診療の質を上げるためと割り切って投資しています。今回2世代目も導入しました。無呼吸を疑うならばこちらの検査で確定診断して、治療を開始することができます。
しかし、無呼吸がなくても、自分の睡眠の質はどうなのか、詳しく知りたいという患者さんのニーズをしばしば耳にしており、睡眠ドックを自費で行えるよう準備しています。どれだけ深い睡眠なのか、無呼吸のみならずむずむず足や周期性四肢運動障害なのかナルコレプシーなのかトータルな情報が得られます。PSGと同等の情報が得られます。ただ、自費診療であり、結果を持って治療にすぐにつなげられるというわけではないというマイナスの面があります。
色々あるのですが、今日はここまで。。。
眠くて眠くて、校正もせず、さよなら、さよなら