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8月 22, 2022

正しいってどうよ。

先日総合病院でご指導いただいた先輩からメールを頂戴した。

「年を取るとだんだん自分のことができなくなる。

やりたいことはやっておくことです。」

まさに仰せの通りだと思う。

人生はあまりにも短い。

明日には命がないかもしれない。

ここでは、「人はなぜ生きるか、何のために生きるか」という話はできないし、しない。

ただ、どうせ生きるなら、少しでも楽しかったとか、良かったとか、満足した、幸せだったとか思って死にたい、と私は思う。

楽しい時間は本当に短い。

 

個人的にお付き合いのあるクリエイティブ系の第一線でご活躍の方がこのようにおっしゃった。

「長生きしたいとか思わない。もう十分生きた。今死んでも良いと思っている」

1人だけの言葉ではないから、クリエイティブな仕事に共通する何かがあるのだろうか。

命は惜しくないと強がっている人の言葉とは違う。

アクセル全開で人生を満喫しているように見えるし、

一流のお仕事をされてきて、確かにやり切ったと言われたら納得してしまう部分もある。

創造するためには身を斬るような苦しみを伴い、エネルギーを使い果たしてしまったという感覚もあるのだろうか。

 

「今死んでもいい」

という言葉はいろいろな意味がある。

もう十分にやりたいことをやり尽くしたから満足しているのか、

希望が持てないから、生きるのが辛いから、お終いでも良いと感じているのか。

PTSDでも、「将来に希望が持てず長生きしたいと思わない」という症状を伴うことがある。

発達障害の一部の人は「生きる意味、目的がわからない」という。(彼らはしばしば、学校に行く意味がわからないと言って不登校になったり中退する)

また、死んでもいいと死にたいは同じではないが、境界性パーソナリティ障害の人の一部には「死にたい」と発することで同情してくれる人の心を操作しようとする人もいる。

はたまた、藤井風の「死んでもいいわ」かもしれない?。

 

私もいつ死んでもいいと思っていた。

バイクで危険なレースもしたし、キックボクシングもかじった。

バイクレースで切れた走りをする人は、やはり死への恐怖感がない、ぶっ飛んだ人だった。

心の中に切れ味の鋭いナイフを抱えているように感じた。

 

私は実際に死ぬかもしれない状況になったことがある。

よく聞く話の通り、今までの人生が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。

最後の瞬間だと思った時、それまでに世話になった人、愛情を分けてくれた人に「ありがとう」と心で唱えた。

 

私の知っている人のなかでも、いわゆる“生還”した人が何人かいるが、その方達は「一度失った命。もう1回もらったと思ってありがたく頂戴し、どんどんやりたいことをやっている」と教えてくれた。

 

やりたいことをやるって難しいことも沢山あるけれど、忘れないようにしたい。

 

しかし今回は、ちょっと違う視点で。

やりたいことをやるという視点を反対から見ると、

やりたくないことをやらないということも大事な要素である。

 

やりたくないことに人生の時間の殆どを費やしている場合ではない。

もちろん、社会で生きているのだから、責任や義務はある。

他人を侵害しない範囲で、ということになるが。

 

やりたいことをやる時間を作るにはやりたくないことに費やす時間を最低限にする必要がある。

基本的に、自分が正しくないと思っていることはやらないようにしたい。

 

私も今の自分の価値基準で正しくないと思うことは昔はたくさんやって来たと思う。

結局自分が正しいと思えないことをやり続けるのは、自分を損なうことにつながっていたような気がする。

悪いことをした後悔や恥の気持ち。

会社の利益のために、正しくないことを正しいと正当化して無理してやっていた自分。

 

正しいか正しくないかなんて正解はない。法律では正解があるかもしれないが、

国も変われば、正しさも違う。

ロシアや中国、北朝鮮など横暴な国のすることは正しく見えないが、彼らは自分達が横暴だとは思っていない。自分達こそが正しいと思っているはずだ。

話が通じない人といくら話しても通じないことが多い。エネルギーと時間の無駄という事も言える。

 

私がクリニックの仕事でやりたくないと思っているのは、障害者年金や診断書にまつわる不正である。

 

コロナ禍で、コロナ給付金を騙し取る詐欺が横行した。

国の金だと思うと政治家の皆様はいくらでも無駄遣いするし、

給付金詐欺の心理的ハードルも下がるのかもしれない。

 

障害者年金の受給でも不正が横行している。

色々なパターンがある。元々障害の程度や病気の種類から障害者年金に該当しない方が、医師に嘘の申告をして診断書を得るか、作文を強要するか、社労士を使って金を積んで年金を勝ち取るというパターン。

あるいは当初は障害が重くて年金相当だったが、現在は軽快して給料も得ており、年金に該当しないが、継続して年金を得るために医師に作文を強要するパターン。

医師も患者さんにいい顔をしたいから特別な計らいで診断書を書いてしまうこともあるようだ。

61nandemoは給与所得があり、しかもダブルインカム。現状としては障害者年金受給に該当しないはずだが、画策し私を操作しようとしたが、それに寄り添わなかった。

私はありのまましか書かないことにしている。

不正に加担することは自分も傷つけることになる。

私は頑張っている人を応援したい。

 

社労士がらみの不正というのは別のパターンもある。

知的障害などの障害者年金の診断書作成について。

私の知る限りでは障害者年金診断書の作成料金は一般的なクリニックで1〜2万円程度である。

本人(保護者)の生活状況自己申告書もあるが、患者さんにそれを書く能力がない時は手伝ってあげる時もある。

通常はそれで足りる。

しかし社労士の一部にはネットで障害者年金をより多く勝ち取れることを宣伝して客を吸い寄せている。

社労士も成功報酬を多く手に入れるために医師に作文を強要してくることもある。

手付金のほか、成功報酬と称して合計数十万円に及ぶことも少なくない。

貧困ビジネスの中でもこれはひどいと私は思っている。

私は社労士の不当な介入を一切許容しない。

 

もちろん、私の知っている社労士さんはとても善良な方であるし、これは一部の悪徳社労士の話である。

 

何が正しいかは正解はないが、私が正しくないと思うことはなるべくしないようにしている。

正しいってどうよ。