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8月 11, 2023

感想文。

私の夏休み1日目。

久々の映画鑑賞。

宮崎監督の「君たちはどう生きるか」。

 

題名からは若者向けの映画だろうと思ったが、

思うところがあったので、

何かヒントが得られないかと

映画館に足を運んだ。

 

こういうのって観た人が自由に受け取っていいのでしょ?

小学生の感想文的な感じで書き留めておく。

(これから観る方は読まないでくださいね)

 

人は生まれつき善なのか悪なのか、ぼやっと気になっていた。

 

映画の題名は、もともと同じ題名の本から由来するそうで、

映画でも主人公が叔父さんに生き方を教わりにいくという設定になっている。

 

「悪意のない石」を積んでいけば、世界の崩壊を先延ばしにできるかもしれない、

そのように叔父さんは主人公に伝えている。

「悪意のない石」は「悪意のない意志」と聞こえたような気がした。

 

しかし、悪意のない石をどれだけの人が持っているのだろうか。

この映画が作成されたのはプーチンが侵略戦争を始めた後なのか私は知らないが、

世界が悪意に覆われようとしている今、

性善説と性悪説が頭をよぎる。

 

エロスとタナトス。

生の欲動、死の衝動。

性の喜び、破壊や攻撃衝動。

フロイトさんがどのように考えたか、それは今回無視する。

 

「人はなぜ生きるのか?」

「生きる」に「なぜ」というものはない。

プログラムされた生存本能、生存欲求に従って生きているだけであって、なぜはない。

生きることが辛い時、意味づけをしようと人びとは色々考えてきた。

哲学や宗教など。

 

これは情緒的なことは一切排除した解釈である。

 

動物の生存本能として生きる。

子孫を残そうと生殖活動をする。

より良い遺伝子を残そうと、生存競争が生まれる前から始まっている。

競争はやるかやられるか、勝ち負けが常にある。

生きるためには、蹴落とす。

獲物を食う、天敵をやっつける。

タナトスエロスは表裏一体だというけれど、私のイメージは並列して同時に存在する感じ。

生存本能と生存競争。

 

生存競争は「悪意」の要素でもある。

「マウンティング」も「妬みによる攻撃」も生存競争の悪意か。

生存競争の悪意を抑えて、集団の力でみんなで生き残ろうとするのが前頭葉の社会性の働きである。

道徳心も前頭葉の働き。

分業して協力して助け合い食べ物を分かち合う。

 

これは本能ではなく、生存のための戦略、高等な機能として発展させてきたものだと思う。

生存競争の本能がむき出しになると、「悪意」が蔓延る。生まれつき前頭葉の働きが弱くて犯罪を繰り返してしまう人もいる。

 

誰かが、「プーチンは不安に怯えた可哀想な人」と言った。

加害者支援という動きがあって、理屈的にはわかるけれど、

本当にプーチンを支援すれば戦争をやめるのであろうか?

悪意と善意の間でまだ定まっていない、感受性のある段階で、人(親がダメなら、近くの大人、親友、恋人)から「良い物=温かい愛情」を与えられれば、善意の石を持つこともできるかもしれないが、出来上がった大人になってから変わるのは容易いことではない。

だから私は戦争も意地悪もネットでの誹謗中傷もこのままでは無くならないと悲観している。

ネットでの匿名での誹謗中傷は、本能の悪意を刺激する最もハードルが低い方法だと思うので、まずはこれを止めることを考えてみてもいいのではないか。

表現の自由という正論を振りかざしていても、実際は戦争と変わらないことをやっている自覚をもたせることが必要だと思う。

 

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