今日の診察の中で、患者さんと「自己肯定感」についてお話しする場面がありました。
「自己肯定感が低い」
「自己肯定感を高める」
そんな表現が巷で溢れています。
メディアでも若干誤解してこの言葉を使っており、多くの方が少し違った捉え方をしていると思います。
「俺ってすごいぜ」
「俺、完璧」
「ラーメン、つけ麺、僕イケメン♪」
こんなふうな感覚が「自己肯定感」としてイメージされていますでしょうか?
最後のはちょっと違うかもしれませんが・・・
以前のブログでもお話ししたことがありますが
「自己肯定感」ってもっと控えめなもので
「これでいい」
「こんな私だけど、それでいい」
「これで〜いいのだ〜これで〜いいのだ〜ボンボンバカボン、バカボンボン」
という感覚です。
最後のは昭和世代にしかわからないかもしれませんが、笑。
すごくなくて全然いいのです。
キラキラしていなくていいのです。
インスタで羨ましがられる生活しなくて全然構いません。
私の場合、精神科医として「これでいい」と思えるようになったのは正直最近になってからかもしれません。
医療が生身の人間を相手にしており、まだ解明されていないこともたくさんある中で、「完璧な医師」というのは成立し得ないのですが、ずっと完璧になりたいと思ってきました。どんなに勉強してもどんなにあがいても、わからないことがたくさんあって、うまく行かないことがある。
でも、クリニックをはじめて10年間、ひたすら丁寧に、納得がいくまで、特に初診を大事に診察して最初の見立てとその後の答え合わせをするということを繰り返してきました。
5分の初診で患者数をこなす医師もいれば、初診の大半を心理士やPSWに任せて最後だけ医師の診察で締めくくるという医療機関も多い中、医療経済上とても効率が悪いと言われようが、専門医が最初から最後まである程度の答えが出るまで時間をかけて初診を行うということを愚直に繰り返してきました。患者さんが抱えているものが大きな場合は2時間以上かける場合も少なくありませんでした。
その結果、やっと自分なりに納得のいく見立てができるようになってきました。
決して完璧でも完成でもありませんが、ひとまず、今のやり方で良いと思えるようになってきたのです。
折しも、患者さんからのポジティブなフィードバックを次々といただけるようになり
それを噛み締めています。
10年前とは別の次元になってきました。
ここ1週間の例では、
「今まで何十年と人に理解されないだろうと思って話すこともしなかったけれど、今回先生に話してみようと思って理解されたという体験が衝撃的でずっと心の中にあったモヤモヤが晴れてきました」
「はじめて先生に傾聴してもらった時、水中に潜っているような完全な静寂の中にいるような感覚がしました。自分がこだわりの中で生きていると気がつきました」
「当たり前のようにたくさん話をさせてもらいましたが、自宅に帰って友人に話したら、こんなに初診でじっくり聴いてくれてきちんと評価してくれるところは他にないよって言われました。本当にありがとうございます」
こんなありがたい感謝の言葉をいただきました。
その他にもお褒めの言葉を頂戴しました。
俺ってすごいぜ!
あれ?そういう話ではありませんでしたね。。。
すみませんふざけてしまい、ちょっと照れ隠しです。
これからも健康に気をつけながら、しっかりとした診療を行なっていくという今までの方向性でやっていきたいと思っています。
さて、冒頭の「自己肯定感」。
やはり生育環境の影響は大きく、親からの心理的虐待など受けてきた方が「自己肯定感が低い」大人になりやすいと感じています。
虐待の難しい問題は、「こんなことをするひどい親」なのだけれど、「やっぱり親に愛されたい、認められたい」「親だから嫌いになれない、親のことがどうしても気になる、親を否定しきれない」という葛藤が生じやすく、自分自身のあり方に混乱が発生してしまうことです。
こういった被虐待の問題を抱えた人立ちは、親子関係を一旦冷静に見直して、
自分なりに適切な距離を親と保つようにします。
例えば、親とはお盆と年末年始にしか会わない、年に1回連絡を取るだけにする、同居を別居にする、
あるいは一切関わらない、そんな選択肢もありだと思います。
自分でどのような距離を保つか選ぶのです。
そこからはじめて辛かった自分を慰め、癒し、育てて再生することが始まります。
そういった一連の再生を支援するために「心の安全基地」が必要となるのです。
患者さんのことをしっかりと理解できる「心の安全基地」となることが開院のテーマでした。
当院の治療対象となるのは「安全基地を破壊しない人」であることが必要条件であるため、全ての方を受け入れることができないのは心苦しいのですが、多くの方に「心の安全基地」を実感していただけるようになったことは泣けるほど嬉しいことです。
ありがとうございます。