とても甘い。
お気遣いありがとうございます!
私もMさんのような気合いの入った職人大好きです。
こちらは、頑張って秋田まで行けたよ!と
お土産持ってきてくれました。
よかったですね、ありがとう。

初診でくる患者さんは精神科の診察に対していろいろなイメージを抱いて来院されます。
ゆったりとした椅子やカウチに座り、ゆっくりと時間をかけて話を聴いてもらえるとイメージされる方もいらっしゃいます。
しかし現実の精神科診療ではそのような診察をおこなっておりません。
(自費での精神分析療法など特殊な心理療法を除く)
当院では、初診こそ1-2時間かけて詳細にお話を伺いますが、ゆったり伺うというよりも、かなり駆け足で私が診断のために聴き取る必要がある内容を次々と聴いていく形となります。1−2時間ぶっ通しで私の質問を次々にお答えいただくのでかなり大変です。
患者さんがフリーで語り続けるということでは全くありませんし、それでは結論に辿り着けません。
再診では(ピンポイントでの対応は別として)毎回長時間かけて診察するということはありません。
では、診察に時間をかけるほど良いのか?という疑問が湧くかもしれません。
基本的にはその必要もないし、医療経済的にもそれは難しいということになります。
話をたくさん聞けば病気が治るというものでもありません。
それどころか、「話をひたすら傾聴する」ことが病状を悪化させることがある病気があります。
それは、複雑性PTSDや発達性トラウマ障害といいます。
これは、虐待などの逆境的な生育環境で長期にわたり繰り返し心に傷を負わされ、警戒心が強くなったり、対人関係が不安定で不信感を抱きやすい、あるいは自分を大切にしてくれない人と付き合ってしまう、自暴自棄な生き方をしたり、将来に希望が持てず空虚で虚しく落ち込みやすい、などの症状が認められます。
過去のつらい体験を繰り返し思い出したり、その映像がリアルに甦ったりすることもあります。
対人操作性が強い場合は境界性パーソナリティ障害などと診断される場合もあるでしょう。
また過剰な陰性記憶の背景には自閉スペクトラム症の素質が隠れているかもしれません。
あるいは次々と災難が降りかかるような、不注意な人生の送り方をしている背景にADHD特性が隠れているかもしれません。
複雑性PTSDの方はつらい体験を感じないように感情や記憶を冷凍保存して封印していることがあります。
患者さんの中にはやたらと話したがる方もおられますが、この封印されたつらい記憶を解凍し、次々と語ってしまうと、こんどこそその心が再起不能になるまで傷ついてしまうことがあります。
ですから、トラウマの問題がある患者さんに自由に好きなだけ語らせる、あるいはやみくもに聞き出してしまうことは、とても危険なのです。
カウンセリングを受けたがために、病状が悪化して精神病に発展してしまったというケースは実在します。
カウンセラーにはそれを封印することはとても難しいのです。
トラウマに詳しい精神科医であれば、薬をうまくつかって封印することができるかもしれない。
とは言え、トラウマ治療は慎重であるべきなのです。
話をたっぷり聴いてほしい、という患者さんの要望に答えることが悪い結果をもたらすこともあるので、
「あなたはカウンセリングはやめたほうがよい」ということもあります。
当院に通院している人でカウンセリングを希望される方は、必ず私に確認してください。
初診ではどこまで傷ついているのか、どこに傷があるのかを知るためにいろいろと伺いますが、傷に塩を塗らないように細心の注意を払っているのです。
診察内容、診察時間、いろいろな意味があってやっている、それがプロだと思います。
とはいえ、患者の話を聴かないだけでなく、診断に必要な問診すら行わないで、出鱈目な処方を繰り返し、ひたすら患者数を増やし金儲けに走っている不届者爺医を医師の団体が自浄努力で排除してくるべきだったと私は思います。
医療費について語る上で大事な話。
保険診療において医療の価格は診療報酬という公定価格が定められている。
私が研修医だったころ外科の先生が嘆いていた。
「白内障の手術と胃癌の手術、同じ診療報酬なんだよね。やってられないわ」と
診療科によるアンバランスさもあったり、
その辺は難しい。
私が受診した眼科の再診の診察料は私のクリニックの単価の約4倍だ。
私が受診した内科の再診の診察料は私のクリニックの単価の約2倍だ。
診察の手間暇を考えると私のクリニックは(私にとって)稼ぎがよろしくない、笑。
まあ最先端の眼科の器材への投資など考えれば致し方ないのだろう。
脱線したが、とにかく、診療の値段は国に決められている。世界的にみてお買い得な値段設定となっている。
しかもこの30年間ほとんど変わっていないし、精神科の専門治療費は改定のたびにどんどん引き下げられている。
その一方で消費税導入、消費税増税という拷問。どういうことかというと、保険診療費では消費税を患者さんから徴収できない。(自費の文書などは例外)
クリニックを開業して、例えば内装工事最低限の1500万かけたとする。内装業者には消費税10%の150万円を支払う。
テナント料だって、電気代だって、注射器だって全てに消費税がかかる。
それなのに患者さんからは徴収できないし、
消費税導入、増税により医療機関はその分損をしてきた。
MRIなんて設置しようものなら、億の世界なので消費税は1000万以上だ。
さらにここに来て物価高だ。完全なインフレか微妙ではあるが、大企業の給料は上がっているのでインフレと言ってよいだろう。
食品だの、家だの、車だの、なんでも値上げ値上げ!
それなのに、医療費は公定価格で押さえつけられたまま。
さらに人件費高騰。物価高に追いつかせようと国は人件費を上げろという。
価格転家できないから、経営者がなんとかするしかない。
もしも診療報酬が現状維持であったとしてもかなり厳しくなっている。
その状況で「減らせ」という動きが加速している。
急激に病院の倒産が増えたのはそんな背景だ。
続く
医療費について話すときに、大事なのは三つの要素がある。
1.医療のコスト
2.医療の質
3.医療のアクセス
これらにはバランスがあってお互いに影響しあっている。
例えば
2、医療の質
日本で一番手術が上手い人を受診したいと思ったとする。文字通り、その先生は日本に1人しかいない。
何千人って患者がその先生に殺到したら、予約何年待ちとかになるのは当然のこと。
すぐに医療がうけられるという3、医療へのアクセスは犠牲になる。
例えば埼玉県にその先生がいたとすると、他の県に住んでいる患者さんは通うのが大変に決まっている。質をもとめると3.アクセスは犠牲になる。
また当然ではあるが、2医療の質を求めれば、人件費や医療機器などのコストがかかる。コストを抑えると質は低下する。
診療報酬を抑え込めば、医療機関はとにかく患者数を増やして短時間で診療を済ませて帳尻を合わせることになる。
日本の医療の質
高齢化社会で老人が増えると、当然がん患者やいろいろな病気にかかる人の割合が増えてくる。高齢化社会では医療がどんどん上がっていくのは(良いとは思わないけど)やむを得ない。
現在の日本の保険診療の保険料は、「健康な人が病気になったときに備えたり、健康な人が病気の人を支える」という仕組みで成り立ってきた。
だから(他の国に比べて)お金のない人も医療を受けることができた。
しかも、OECD加盟の先進国の中でトップクラスの質を誇る医療が日本では受けられる。
トップクラスってどうやってわかるのって?
一つの指標だが、「適切な医療を受けられれば命が救えた可能性がある」指数というのがあって、日本は80程度でダントツに低いほう。先進国でも400以上という残念な数値を認めている国もある(これだけ救えるはずの命が救えないってこと)
また日本人の寿命もトップクラスに長い。
GDPに対する医療費の割合は、丁度真ん中、平均値のわずか上あたりだ。
ということで、かなりコスパが良いのだ。
それから実は自己負担も少ないほうなのである。
こんな状況で日本の医療に不満を募らせているような人はもはや世界のどこに行っても暮らせない。
むしろ日本から出ていってくれ、笑。
それは言いすぎた、ごめん。
とは言え、結構日本の医療頑張ってるっていっていいよね。
それからこれを医者が自分で言っちゃうと反感買うってわかってはいるけど、ちょっといいたい。
医者っていうと高級取りのイメージがあると思う。日本の医者が威張っているとか偉そうにしていると思っているかもしれないけれど、世界的には医師はもっとステータスと報酬が得られる職業であり、海外に行くととても敬われたり、特別扱いを受ける事もある。海外の飛行機では、(急患が出た時の対応を期待してだとは思うが)勝手にアップグレードしてくれたりする経験を何度かした。そしてステータスだけでなくアメリカでの医師の報酬はうらやましいとは思う。
アメリカではオバマさんが日本の皆保険制度を見習ってオバマケアを推進しようとした。しかし、日本の医療現場を見学した結果、「これは無理だ、日本のように献身的な医療はアメリカの医師たちには真似することができない」と断念したそうな。
日本の医師たちが責任感が強く、プライベートの時間も犠牲にして働いており、高度な専門性のある職業にもかかわらず時給換算でもアメリカの医師と比べてはるかに待遇がわるかったからだ。これをアメリカの医師たちが受け入れるはずがなかったということである。
とは言え、デフレ社会だった日本では給料が保証されているだけマシだった。我々氷河期世代の中でも安定した職業として人気だった。
しかし、インフレに転じて相対的にも実質的にも待遇が悪化
続く
初診の時は問診にたっぷりと時間を割きます。診断や治療についての説明も丁寧に行います。さらによほど時間が押していなければ、「わからないことはありませんか?何か質問はありますか?」と質問を受け付けています。
再診でも、患者さんから質問があれば必ずお答えしています。
むしろ質問には誠実にできる限りの回答をしています。これはもう私の性格といってもいいでしょう。質問されて無視したり答えなかったことは一度もありません。
ただし、診察のたびに毎回10個以上の質問を繰り返し、同じ説明をしても納得されず、私に「自分が期待する回答」を言わせるまで食い下がる方が5年に一人ほどいらっしゃいました。例えばアルコールに依存症の方が「アルコールを飲んでもいい」と私がいうまで「飲んでもいいか?」と繰り返し尋ねるケースです。その場合毎回診察時間が際限なく長くなり、次の予約患者さんを待たせてしまうのです。
そうしたとき「質問は大事なものを一つだけにしてください。一回の診察で一個。」「その件に関してはすでに何度もお答えしましたので繰り返しません」というお願いをすることがありました。
基本的に、質問にはきちんと答えます。
ただし、「わからない」というのもあります。
この「わからない」にはいろいろなレベルがあります。
・私がすぐに思い出せないだけ
・世の中には解答があるはずだが、私がしらない
・解答そのものが存在するのか不明
・わたしがわからないだけでなく、そもそも医学的にまだ解明されていない
もし解答がありそうで、治療や診断に関わるならば、「宿題」として持ち帰らせていただき、調べたうえ後日回答します。
私が最も大切にしていることは、わからないのに知ったかぶりをしないこと、そして難しい言葉で煙に巻くようなことをしないことです。知ったかぶりほど信用を失いことはありません。
私が顧客や患者の立場であれば、営業担当や販売員、医師などが「わからないときにどう対応するか」それを見てその人が信用できるか判断します。
以前、「質問にも答えてくれない。さっさと病院を変えたほうがいい」というレビューを書かれたことがあり、これはすぐにデマの書き込みだとわかりました。
誰が書いたのかは察しがついています。
私の正義感を疎ましく思う人もいて、そのデマに賛同する人もいたのです。
しかし、当院で実際に治療を受けていらっしゃる方なら、私の質問に対する向き合い方はおわかりかと思います。
先日、質問をいただき、宿題として後日お答えした方が、とても感激してくださり、わざわざ「先生のお時間を割いて申し訳ない」と差し入れまでくださいました。
ベストな解答には至らなかったですが、一緒に考えるという経験はよかったのではないでしょうか。
専門外ながらも私も知っておいたほうがよい内容だったので、どうかお気遣いなさらないでください。
それから、このお菓子、初めて食べましたが、独創的なお菓子で美味しかったです!出勤しているスタッフみんなでありがたくいただきました。
こちらも楽しみにしていただきます!
ここ数年で一番ガタガタな診察がありました。
ご家族がいらして、患者さんと配偶者の3者面談(正確にはお子さんもいらしたので4者面談)を行なったのです。
全く集中できず、わかりやすい説明もできませんでした。
お子さんは赤ちゃんで、時折ぐずったりはありましたが、激しく啼泣していたというわけでもありませんでした。
ただ、ご両親が赤ちゃんの動きに意識が向かっており、お二人とも同時に私の話に集中できていないのがとてもよく伝わってきたのです。
患者さん家族が悪いのではなく、私の計算違いでした。
私の苦手なシチュエーションが今回よくわかりました。
それは相手が聞いていようが聞いていまいが一方的に話をする、ということが私は苦手だと気が付きました。
普段の診察では私は相手の表情や声のトーン、視線などよーく見ています。
理解できたか?納得できたか?
何か引っかかったのかな?
それを感じ取りながら話を進めます。
ずっと長いこと患者さんと私でお互いに集中した診察を続けて来たのだと気が付きました。
相手がこちらの話にほとんど集中できていないとなると、相手が聞いていないのに話を先に進めていいのかわからないのです。
説明は分断し、流れで理解してもらうこともできなくなります。
今回のご家族はきちんと赤ちゃんに注意を向けていてとても素晴らしいのですが、
やはり大事な話の時はなるべく預けてもらった方が良いようです。
せっかく暑い中ご足労いただいたのに、申し訳なく、私もちょっと落ち込んでしまいました。
今までご家族の入室に関してはシビアにコントロールしてきてとてもうまくいっていたので、
初心に帰って段取りしようと思います。
コレステロールがいくつ、
血圧がいくつ、
血糖値がいくつ。
この数値の場合は、この方法で、この薬使って。
内科の先生の中にはガイドライン一直線、マニュアル一本で
基準値を目指す医療を行なっている人も少なくない。
精神科もマニュアル的な治療で統一しようという方向に向かっている。
それも大事だけど、当院では基準値を目指すことを目標とせず、その人それぞれが心地よく生きていくためにどうするかを考えていく。
その結果基準値と大きく違っていたって構わないと思う。
発達障害の過剰診断を批判する医師もいるけれど、発達障害の部分特性のために精神疾患を発症している人はとても多い。
誰にでも発達障害の特性を多かれ少なかれ認める。
いくつかその特性が重なったり、突出することで掛け算的に生活に支障をきたすことも少なくない。
だからこそ、私は細かな特性もきちんと評価する。
その結果をフィードバックすることで患者さんが自分自身を理解し、自分の上手な扱い方を習得できるようになっていく。
基準値から外れていても、お薬を使って生活が豊かになるのであれば、それでいいのでは。
薬なしで基準値の健康体でありたいという無理な理想を追求していても、ずっとつらいまま。
睡眠薬だってそう。
幼少期の虐待経験で子供の頃から夜眠れなかったという患者に、「生活習慣をちゃんとしろ」「薬なんかに頼るな」
って言い続けるのは拷問だ。脳が常に警戒している過覚醒モードを記憶しているからだ。朝の日光を浴びたって、日中運動したって、夜に入浴したって、ダメな時はダメだ。
長いことアルコール習慣がある人も、自力で睡眠を取る力や不安を軽減する自前の力が衰えてしまう。
眠れないことで脳がオーバーヒートを生じやすく、うつ病発症や認知症のリスクも上昇する。
睡眠時間に脳の中のゴミが排泄されるのに、睡眠が取れなかったら認知症の原因になるゴミも溜まりやすい。
不眠が続くことで不具合が生じやすいのは当然だ。
「睡眠衛生指導さえすれば全ての患者は眠れるようになるはずだ」というのは妄想だ。
「睡眠薬が悪だ」というのも絵空事だ。
基準値にならないといけないのではなく、基準値ではない状況を変えることができなくても快適にするにはどうしたらいいのか、
それを毎日追求している。
結果的に睡眠薬を継続することでなんとか生活を維持している人もいる。
全員が「薬なしで健やかに」という基準値になるはずだというのは机上の空論もいいところだ。