ペットボトルのラベル。
ゴミになるし、剥がすの面倒だし、
いらないなってずっと思っていた。
ラベルレス、いいね。

親友を喪って一年以上経った。
志が高く猛烈に働いていた。
国の緩和ケア施策を牽引していた男だ。
まさに命を削って世のためにつくしていた。
いつも徹夜で働いていたが、執務室で倒れているところを、秘書さんに朝発見された。致死性不整脈による突然のお別れだった。
残されたお子さんたちには、パパの代わりにはなれないけれど、いつもずっと気にかけているおじさんがいることが、少しでも支えになればよいと思っている。
今月のサイコオンコロジー学会、総合病院精神医学会で親友の追悼シンポジウムを開催してくださるようだ。
時間的に厳しいのだが、オンラインでもなんとか参加したい。
いきなり休診にはできないし、どうしたものか。
気になる医学書とノーベル賞受賞作品など何冊か購入した。
昨夜は一晩で医学書一冊読み切った。
同じ医局の若き才能の溢れた医師が執筆した本だ。著者も私も精神科を専門としながら内科外来を行うなど身体科に軸を置いていた時期がありとても共感できる内容だ。
身体科の経験のない精神科医の中は身体因を無視したり、副作用にも無頓着な人もいる(勿論そうでない先生も沢山いる)。ハードルは高いが、心身をトータルで見渡せる医師は理想的だと思う。身体科でこころの問題だと決めつけられて、あるいは自分のことをうつ病だと思い込んでいて精神科を受診した人に、身体の病気が主な原因であったと判明することも少なくない。(以前、自分はうつ病だと言って受診した男性がいたが、詳しく診察するとどうしてもうつ病とは考えられない所見だった。結局うつ病かうつ病でないかの押し問答になって、私は体の症状など別の視点で調べたほうがよいと伝えて帰した。結局体の難病だった。適当に診察して本人のいうままに安定剤や抗うつ薬を処方していたら、診断も遅れてごちゃごちゃになっていたと思う。しかし、今度はご本人はどういった難病かまで詳しく診断してくれなかったと逆恨みし、、、(こういうタイプの人は必ずGoogle口コミで唾を吐いていくのです)。大学病院ではないし、そこまで検査などできず、身体的精査のご要望にはお答えできない。ご本人がうつ病にこだわっていたのでそれ以上話が進まなかったということもあり、、、難病になってしまったという怒りを八つ当たりしたい気持ちはわかるが、メンタルクニックでできる範囲のことは最大限尽くしたのでご容赦いただきたいというしかない。このようなパーソナリティの方だから、あちこちで取り合ってもらえずメンタルだと言われてしまったりする。本当にむずかしい。)(逆に、「あの時体の病気を疑ってくれたので早期の治療ができて助かった」と感謝してくださる方もいらっしゃる、涙。)
メンタルクリニックという構造などいろいろな理由で私は身体を全く診れないという設定にしているが、身体科の眼差しを忘れないようにしている。
もう一冊はトラウマ治療の師匠からの案内があった本。すこし難しいが、パラパラ見てるとかなり興味深いことが書いてある。
さて、今日は日曜日だった。
やるべきことが山積みだが、昨日から本を読んだり、晴れ間を狙って公園散歩。
現実逃避だ。
今日は土曜日。
平日より少し早く帰宅。
帰り道、夜の公園を散歩。
今日は適度に湿度があり、気温も涼しく気持ち良い。
初診も複数件診察し、一日全力で達成感がある。
精神科では、適当な気持ちで受診したひとには軽めの診察を、真剣な気持ちで受診したひとにはしっかりと診療する必要があるという考え方もある。
当たり前のようで実はむずかしい。じっくり話を聞かないとどちらかわからないからだ。
精神療法でこころの深いところに立ち入るというのは、こころの手術をするようなイメージである。
なんとなく興味本位でふらっと立ち寄った、手術を受けるつもりのない患者さんにいきなり手術をするのも不適切だし、
本人が手術を望んでも、手術が適切でないこともある。
真剣に治療しようと腹を決めてきた患者さんに、5分で適当な薬だけ処方するのも残念だ。逆に手術をうける気満々で来た患者さんであっても設備やマンパワーも整っていないところで心臓の手術を始めてはいけない。
適当に受診した患者さんを軽く診察するのはよいと思うが、軽く診察しただけで、患者さんを沼に引き摺り込むような安定剤を安易に処方するということもやってはいけないと私は思う。
初診を5分ですまして大量の患者を捌く金儲け主義の医療機関は初診待ちが不要で便利だし、カジュアルに受診した患者さんにはマッチしていると思うが、デパスとかハルシオンなどの強烈に依存性のある薬をいきなり処方して定期服薬させるのは悪意があるとしか思えない。(善意でデパスをたくさん処方する内科や整形外科の先生には、予後を悪くしている事実を現場からお知らせしたい)
真剣に受診した患者さんに精神療法という調理を施した処方薬をお渡しすることこそ意味があるのだと思う。処方された薬を飲むということは処方した医師を信頼して服薬するのであり、心理学的には母親がこどもに愛情のこもった食事(母乳)をたべさせる(飲ませる)行為に似たところがある。こどもは親からの何か良いものを取り込むのである。
私にとって処方する薬は患者さんへの誠意であり、その愛情は過多(大量処方)であってもいけないし(過保護や過干渉は虐待の一種である)、毒(いびつな愛情、不適切な処方)であってもならないと思う。
実際のところ、時間には限りがあり、初診というはじめての出会いで深入すべきかどうか、どちらにするか早い段階で決めざるを得ないという現実がある。
初診のように十分なセッションを2回やれるような医療資源の余裕は一切ない。当院のように初診でしっかり時間をかけるところは医療経済的にも効率もわるいし、医師も疲弊する。
当院のスタンスは初診で患者さんの物語を理解し、その背景にあるものを評価し、精神療法のアイテムとして意味のある処方を患者さんにしっかりを渡すことである。
疲弊するが、うまくいけばとても達成感がある。また、丁寧に診察している積み重ねで実力もついていくような気がする(気がするだけだと困るけど)。
数だけこなしても中身のない診療をしていればいつまでも空っぽのままだ。
大量に患者さんをさばいて金儲けし、財布の中は一杯になっても、医師としては空っぽのままだったな、と思いながら人生をおしまいにしたくないと思っている。
しかし、体力にも限りがあるし、バランスをとるのはとても難しい。無駄に疲弊することは避けなければならない。
当院ではミスマッチが起こらないように、あらかじめ電話でどういった治療を希望しているのか伺っている。
電話で詳しく話したくないという患者さんは、本当に当院を受診しないことをお勧めする。
これはお互いのためだ、本当に。
そしてミスマッチは違った側面からも防ぎたい。
一点目は、自分が手術できるレベルの事案かどうか見誤らないこと。手術してからできませんでしたって、誰も望まない。自分のスキル、設備、マンパワーなど総合して引き受けて良いか判断しないといけない。
二点目は、患者さんの中には精神科医を愚痴や不満のはけ口でサンドバックにしてよいと考えている人もいる。これを転移という考え方で治療に結びつける治療もあるが、限られた時間の中でやるには相当なスキルが必要だ。
話を聞いてほしい、という患者さんの中には、文字通り自分の話を一方的に聞いてほしいだけで、治療を望んでいるわけでもない方が実際にいる。(こういう人は、アドバイスも聞き入れるつもりがないし、服薬も拒否することが多い。相手から良いものを取り込むことができない)
保険診療という医療資源を無駄遣いして、目の前にいる医師の時間をいくらでも奪ってよいと考えているひともいる。
そういう人に全力で治療に当たってしまうと、ミスマッチが生じ、真剣にやっても患者さんにも不満しか残らないし、医師の消耗もはげしく、本当に必要な人にエネルギーをそそげなくなるのである。
全例に適当な診察をおこなっている医療機関であれば、そういった医師の消耗は少なくてすむという側面もある。
誰もハッピーにならないことは出来るだけしたくない。
また、私自身の命を削ってすり減らしていくだけの診療も本当の意味で患者さんをハッピーにしないと思う。まじめに診療している仲間の中には、「命を削って仕事をしているこの感覚に疲れた」という精神科医も少なくない。社会的にご自身が満たされない不満や怒りを医療従事者に当たり散らす方も増えてきており、弱者を装った人に医療従事者が傷つけられることも少なくないのである。
当院ではスタッフを守ることも重視しており、現在はそういった患者さんは皆無である。それを実現するためにはそれなりの摩擦がある。私のやり方は正しさという点からはベストだとは思っていないが、患者さんのためならスタッフを傷つけても仕方がないとは全然思わない。
これらの問題にどう向き合っていくのかまだ答えは出ていない。
先日の虫の名前あてクイズにすぐにレスポンスしてくださった方がいました。
ホウジャクというスズメガ科の昆虫だそうです。
40年以上のモヤモヤがスッキリしました!
ありがとうございます。
とにかくこの方は博識で多方面の才能がすごいんです。
私の身の回りには色々な才能を持った方がたくさんいて、いつも助けられています。
能力がある人は羨ましいとも思うけれど、自分ができなくとも、誰かが助けてくれるので、自分自身ができなくても大丈夫です。
なんでもできるようになりたいと思っていたこともありましたが、現実は無理だし、自分のできることでできる範囲で助ける、あるいは応援するということで、自分なりに頑張っていきたいと思います。
今まで数え切れないほどの方達からお話を伺ってきた。
初診だけでも1人平均1時間。
学生さんたちに教える教科書には、
人生の中で最もストレスになる体験は何かという
ランキングとインパクトの表が書かれている。
それはさておいて、私が臨床経験の中で一番つらい喪失体験はこれではないか、と思うものがある。
それは、不慮の事故などで愛するこどもを失う親の悲しみだ。
いろんな方の悲しみを受け止めているともらい泣きするのを堪えることはよくあるが、
この悲しみだけはいつも涙を止められない。
私が経験したからというわけではない。
開業して間もない頃、もう少し時間的に余裕があった時は、そのような親を私自ら毎回十分に時間をかけてカウンセリングしていた。喪の作業を一緒に行い、1年くらい経つと、「やっとこどもが残してくれた愛を糧に生きて行く、自分なりに折り合いをつけていける気がしてきました」と卒業されていった。
しかし、たった1年では喪失の悲しみは癒えない。私は一番しんどい時に少しだけ寄り添ったにすぎない。
今も何人かお子さんを事故や急病で亡くした方が通院しておられる。
毎年毎年、事故の日、お子さんの誕生日、お盆、そのほかお子さんに関連した日が近づくと気持ちが不安定になる。
変な命名だと思うが、これを「記念日反応」という。
私はそれぞれの患者さんの「記念日」を記録し、そのタイミングに近づくとより一層注意深く診察を行うようにしている。
「なんでもないです」とおっしゃるが、言葉にはしないものの目を合わせ(心の中で)「しんどい時期ですね」とゆっくり頷くと、患者さんの目が赤くなって涙がこぼれ落ちる。
抑圧しすぎず言語化していった方が良いと思う。
こどもを失う親の悲しみほどつらいものはないと思う一方、
幼い子を残して急逝する若い親の無念もつらい。
「パパの愛はずっと残っているからね」
残された幼な子にはこう伝えたい。
*現在当院ではカウンセリングをおこなっておりません。毎回じっくりとお話することをご希望される方は他の機関をおすすめしています。
ちょっと面白いユーチューブ動画を見つけました。
Kevin’s English Room。
今の英語教育がどうなっているのか知りませんが、私の世代では、中学、高校と学校で結構みっちり英語を教わりました。
学校の勉強の習得はそれなりに順調だったと記憶しています。
予備校には通ってませんでしたが、予備校の学力テストで全国2位までいきましたから、学校の勉強だけはある程度できたといえると思います。
しかし!
海外に行って、習ってきた英語を使ってみるとなかなか通じないし、
日本では習っていない話し言葉がたくさんあるある。
アメリカやカナダに身を置き、つかの間でしたが勉強した時期もありました。
私の英語は硬すぎると言われました。
ただ、実際はそれだけではなかったようです。
ニュアンスがおかしかったり、失礼な使い方がたくさんあったと思います。
みなさん優しいので、「お前の英語は失礼だ」とは言いませんから、
私は知らないまま失礼な英語を使っていたのです。
誰が日本の英語の教科書作ったんだと文句を言いたい!笑
今の私は英会話できませーん。
教育の問題ではなく、単に私の言語能力の問題でしょうが、
こんなに勉強したのに、、、という思いがあるのです。
そういうことがわかってきた今、また英語勉強しようかな?
それとも中国語?
中国に武力支配されるのも、あり得なくはない・・・
そういえば、第2外国語でドイツ語も勉強しました。サボりまくったので習得できませんでしたが、ドイツ語圏に行ったときに標識が読めたのは助かりました。シュナイダーとかクレッチマーとかドイツ語圏の偉大な精神科医がいたので、著書を読むためにはドイツ語を理解する必要があり、昔の精神科医にはドイツ語ができる先生が少なくありません。西尾忠介先生に毎週クレッチマーなどドイツ語の原文読み下しのクルズスを受けられたことは一生の宝物だと思います。
一説には患者さんにカルテを覗かれても何が書いてあるかわからないようにドイツ語で書いているという先輩もいました。妄想があるとか、支離滅裂なことを言っているとか、所見を書くわけですが、患者さんは自分の思い込みを妄想だとは思っていないわけです。覗かれると当然揉めますよね。
先輩方のカルテを真似して私もドイツ語のカルテを書いていた時期もありましたが、今はドイツ語で書く意義もなくなり、接することも無くなって、ほとんど全てを忘れました。でも、無駄だったとは思っていません。
「ぎっくり腰」は魔女に腰を撃たれたように急激な痛みが走ることから、ドイツでは「魔女の一撃(Hexenschuss:ヘキセンシュス)」と呼ばれる。
毎年この時期ぎっくり腰になる方がとても多い。
リモートワークの影響で例年よりもさらに増えているようだ。
当科の診療でもそれがはっきりわかるくらいだ。
どうしてこの時期にぎっくり腰が多いのか、理学療法士の先生に伺った。
いわゆる夏バテの一つではないかという。
クーラーで冷えて固くなった筋肉。
そして水分過多で弱った胃腸は筋肉を固くする。
筋肉が柔軟性を失えば関節に負荷がかかる。
そういうことなのかもしれない。
パンデミック以前はどんなに忙しくても週2回の筋トレは欠かさなかった。
この3年弱所謂筋トレというものをしていない。
最近は理学療法士の先生からインナーマッスルを鍛えたり、コンディションを整える方向で指導を受けている。
心身の相関についても新たな視点を与えられた。
何事も極めた人から教えられるものは大きい。
患者さんにも少しずつフィードバックしている。
心身相関は私が医学を志した原点の一つである。
基礎ができたらまた思いっきり筋トレしたい。
インフルエンザワクチン予防接種ご予約開始
令和4年10月1日よりインフルエンザ予防接種開始します。
料金は1回目4000円(税込)、2回目3000円(税込、1回目を当院で接種した方)です。
ワクチン入荷数に限りがございますので、お早めにご予約ください。
なお、上尾市に住民票のある方で65歳以上の市民は、市の助成があり1500円(予定)の自己負担となります(1回目のみ)。
助成対象となる期間は令和4年10月20日~令和5年1月31日までです。
埼玉県内の65歳以上の方であれば、同様の助成が受けられますが、お住いの市によって自己負担分が異なりますのでご注意ください。
当院通院中であっても、小学生以下、妊婦・妊娠の可能性のある方、卵やワクチンにアレルギーのある方、当日体温が37.5度以上ある方、(大人もこどもも)注射が怖くて大声を出したり暴れたりする方は当院では接種を行いません。
上尾メンタルクリニック 院長