令和6年9月24日。
お世話になった親しい方とのお別れ。
余命宣告通り半年の闘病だった。
私は何人か大切な人の命を膵臓癌に奪われてきた。膵臓って聞くとドキッとする。
医療従事者とそうでない人の知識や考え方にはかなりのギャップがあり、今回は私が少し架け橋となった。
遠くの大学病院に足を運び、主治医にお手紙を渡し、コミュニケーションを図ってきた。
結果とても良い最期を送っていただけたのではないかと思う。
ほとんどのスタッフは心ある医療従事者であるが、看護師さんの中には意地悪な方もたまにいる。
そこをどう切り抜けるかと言うもの精神科でチーム医療をやっていた経験が役立つ。
今回は患者さんサイドの立ち位置で医療に接し、改めて医療は一般ビジネスとは異なると感じた。
心の使い方がまるで違う。
だからビジネスと同じような感じでサービスを要求する人は上手に医療を受けられないかもしれない。
完全にビジネスの世界から株式会社が医療に参入して、一見良いサービスが受けられると思った一般の方々は悲しい未来が待ち受けていることを知らない。
主治医の先生には本当にお世話になった。
緊急であればあるほど主治医を選べることは少ないが、ご縁に恵まれた。
しっかりした医学知識と技術、心ある先生で優しさに触れて助かった。
彼は生前1回だけ「自分には美学がある」と言った。
弱音を吐かずにメンタルをやられた患者さんをたくさん診てきたので、肯定するわけではないが、彼は一度も痛いとも言わず弱音をほとんど吐かなかった。
うなされながら最期に笑顔で手を合わせてくれた。皆様最後の瞬間が近づくとわかるみたい。
カッコ良かったですよ。これが美学だったのですね。お疲れ様でした。安らかにお休みください。
最後に不思議なことがありました。
旅立たれた後に、奥様の携帯に着信がありました。彼の携帯からでした。
電話にでたらすぐに切れてしまったそうです。
何か携帯に触れてしまって勝手に発信してしまったのでしょうか。
しかし彼の携帯にその時間の発信履歴がありませんでした。
何が生じたのかわかりませんが、
なんとなく
「ありがとう」
と言っていたのではないかと感じました。
まるで高級ホテルのような病室で、静かで穏やかな時が流れていました。
頑張って生きてきた彼へのご褒美のように思えたのです。
主治医の先生ありがとう。