正しさって難しいんですよね。
研修医の頃は、患者さんに正しいことを伝え、正しい治療をして、患者さんの間違った思い込みを正すことが正しい医療だと信じていたものです。
一般にアスペルガーの傾向の高い医師は経験を積んでも陥りがちなパターンで、患者さんに共感することなく医学的知識をまくしたててしまうことがあります。
でも、患者さんには患者さんなりの物語があって、いろいろな感じ方をしたり、それぞれの想いというものがあることに気がつきます。
その反動や、心、優しさ、愛情の全くない医師の存在に嫌悪し、私はある時期、患者さんがどう感じるか共感することを第一にし、患者さんに寄り添うことをとても重視し、感情移入しすぎていた時期がありました。
自分の生育歴で大きな逆境体験がある医師はそこに陥りがちです。客観性を失うリスクがあります。
ただ寄り添うだけじゃダメだったんですよね。
患者さんには患者さんなりの思い込みとか認知の歪みがあってマイナスのループから抜け出せなくなっている。
それを強化してしまうと治療としてはダメなんです。
そこで、患者さんとは違う認知の仕方とか、正しい知識を提示して展開するサポートをしないといけない。
自らの逆境体験があるだけでなく、それを消化している医師は割とそういう力があるように思います。
今度は、正しいことをしようとすると、患者さんが抵抗することがある、その理由が見えてきたんです。
正しさって人を傷つけることがあるんですよね。
人間は全員が不完全な生き物なんですが、
自分が不完全な生き物だって認められるには
ある程度の余裕がないとできないんです。
正しさの伝え方にも技術が必要なんです。
まあ、どんな伝え方をしてもすんなり入っていかないときは何をしてもダメですが。
寄り添うことと正しくあることは、時に逆方向になることがあり、バランスとかタイミングとか難しい。
それがうまく出来るようになったら、
清濁併せ呑むことができる成熟した大人になれるのかな、
って想像したり。
私もまだまだ未熟だなぁと思うわけです。
それから、医学的な正しさも時代とともに変わります。以前は正しいと思われていたことが、今は覆される。
でも、正しくないことって、なんか違和感があるし、腑に落ちないんですよね。だから納得しないまま来て、今になって、「やはり、そうだよね」と新しい概念が腑に落ちることもある。
いまは、とにかく時間が足りないので、治療が成り立つひと、成り立たないひと、ある程度の線引きをしてトリアージさせてもらっています。
自分の外にある正しさをある程度素直に受け入れることが出来る人はどんどん成長して良くなっていきます。
時々、自分で診断して自分で治療を決めて、医師を従わせようとする患者さんがいます。意見が合えば治療できるかもしれませんが、まわりの正しさに対する受け入れが全くできず、自分の正しさに100%こだわっているひとは全く治療にならないので、当院では治療が難しいとお断りすることがあります。
場合によりますが、治療を開始するには、まだ早い段階なのかもしれません。
電話の段階で確認していることの一つです。