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8月 15, 2025

戦争について。

8月15日。世の中はまだお盆休み真っ只中ですが、当院はスタッフに無理をお願いして診療を再開しました。

 

(長く休みすぎると患者さんに迷惑がかかりますし、休み前後の混雑がどうにもならなくなってしまうのです。)

もっとも、これまでお盆休みを通して診療を続けたこともありますが、実際にはそんなに混まないんですよね。やはり年に一度のお盆なので、皆さん、帰省やお墓参り、旅行など大切な用事があるようです。

診療を再開した今のところ、不穏な知らせもなく、大事に至った患者さんもおられないようで、少しホッとしています。

被爆二世として

この時期になると、テレビでは毎日のように戦争や原爆に関する番組が放送されます。さきほど帰宅してテレビをつけたら、『火垂るの墓』が流れていました。

唐突かもしれませんが、ここで一つ、これまで誰にも語ってこなかったことを書きます。

私の祖父母と父は広島で被爆しました。体の弱かった父は「ヒバクシャ」として差別され、からかわれ、いじめの対象になったそうです。その体質の一部は私にも受け継がれ、弱点となっています。父は長く働き続けることが難しく、その影響で私の生育環境も大きく左右されました。私は「被爆二世」なのです。

とはいえ、「自分ができないことを被爆のせいにする」ことはしたくありませんでした。むしろ、恵まれた環境ではなかったからこそ、それをバネに頑張れた部分もあります。

精神科病院で働いていた頃、ある年長の医師(地方国立大)から「箸より重いものを持ったことのないボンボンだろ」と嫌味を言われたことがあります(偏見、誤解もいいところですが…)。ただ、それだけ妬まれるということは、裏返せば認められていた証拠でもあるのだと思っています。

今だから語れること

「被爆二世だから」「生育環境がこうだったから」と、今さら言い訳するつもりはありませんし、そう受け取られることもないだろう。そう思えるようになったからこそ、今ここで書いています。

現在の自分は、自分自身の努力に加え、友人や先輩、恋人、そして患者さんや仕事で出会った方々に支えていただいた結果で成り立っています。

人間と「悪」について

被爆二世という立場上、戦争や原爆については複雑な思いを抱き続けています。

医療の現場で多くの方と向き合う中で痛感したのは、人間には「性悪説」があてはまる部分があるということです。人は生まれてから愛情を受けなければ愛を知りません。直接の暴力を受けなくても、放置されれば(今ではネグレクトは虐待とされていますが)、人を信じることや愛することができなくなり、怒りに支配されてしまう。

そうした人はやがて「悪」に傾き、犯罪や戦争に手を染めていくのです。独裁者を見れば、その根底に愛着障害の影があるように思えます。

もっとも、実の親から愛を得られなくても、他人からの愛情に救われることはあります。幼少期が最も重要ですが、思春期や青年期であっても温かい愛情を受ければ、その後の人格形成に影響を与えるのです。

しかし、一度「悪」に支配された心を変えるのは容易ではありません。だからこそ戦争も犯罪もなくならない。北朝鮮もロシアも中国も、簡単には変わらないのです。

現実と理想の狭間で

では、その事実をどう受け止め、どう向き合うのか。理想と現実のギャップをどう埋めるのか。世界はいまだに答えを出せずにいます。

日本においても、財務省の中の「悪」が、苦しむ国民を操作し、医療者叩きを利用して自らの不正や誤りから目を逸らそうとしてきました。その結果、社会には妬みや怒りが渦巻き、分断が進んでいます。独裁者が繰り返してきたことが、日本でも同じように行われているのです。

人間には「悪」が潜んでいる。

だからこそ、他人からの温かさに触れたとき、私たちは計り知れないほど嬉しくなるのです。

さいごに

『火垂るの墓』や『フランダースの犬』を観て、涙があふれるかどうか。

それは、人としての大きな分かれ道なのかもしれません。

 

 

 

 

なんかいつもとブログの形式が違いますね?

面識はないけど知り合いを通じてつながっている精神科医のブログの形式を真似てみました。

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