診療後も毎日残業で書類作成などに追われており、さすがにしんどいなぁとお疲れ気味だったのですが、嬉しいお知らせが。
おおっ、
Emiさん、お久しぶりです!
思い出してくださったのですね。
いろいろつらい思いをされてきたものの、徐々に幸せを掴みはじめ、私も嬉しかったですよ。
また、こうしてご連絡いただき、良い想いを分かち合ってくださり、ありがとうございます。
こういうのって、またご自身にかえっていき、良い循環になっていくのだと思います。
どうか、お幸せに!
うつはうつでもいろいろな種類があるので、簡単ではありませんが、
急性期のうつ病で休職せざるを得ない状況になることがあります。
今まで病気一つせず、仕事もバリバリやってきた方がそうなると、
まるで人生お終いであるかのような落ち込み方をする人がいます。
うつ病は頑張りすぎの黄色信号、いえそれどころか赤信号とも言えます。
しかし、うつを克服すれば、人生さらにステップアップできます。ピンチはチャンスなのです。
例えば、インフルエンザにかかった後、かかる前と比べて、よりヴァージョンアップされた状態になることがあります。
抗体ができて、インフルエンザに強い体になるのです。
それと同じように(若干強引な例えではありますが)うつ病を乗り越えれば、よりよく生きられる力をつけることができるのです。
これはPTSDを治療した後に、心の成長が促される心的外傷後成長(PTG)が認められることと同じことだと私は思っています。
当院では病状から必要と判断される方には休職を勧めることがあります。
ただ、すぐに休ませたい方でも、あまり強い言い方はしません。
なぜならば、ご本人が腹を決めて休むのか、そうでないか、それによって今後の回復や成長が変わるかもしれないからです。
同じ休職するにしても、休む目的を理解して休むかどうかで結果が異なるのです。
しっかりと休養をとって、心の充電をし、健やかに生活していけるような成長をしてから復職することが大事です。
人生でまとまった休みを取ることなんてなかなかありません。このチャンスを活かして成長できれば、振り返ったときにかけがえのない財産だと感じる人も少なくないのです。
一方、休職後も「あの仕事どうなったかな、あの人にどう思われているかな」などと心の消耗を続けているのでは、休職しても休養にはなりません。無駄に時間を過ごしているだけです。
そうならないために、必要ならマインドフルネスの指導もしますが、まず一番大事なのは、「また元気に人生というマラソンを走るための、大事なメンテナンス期間なのだ」と言う意識を持って自分の意志で休職をスタートさせることが大事なのです。
そのために、私は病状の詳しい説明と休養の目的についてしっかりご説明したら、ご本人の腹が決まるまである程度待つことにしています。
(注:いまにも自死してしまいそうな時は別のルートに乗せます)
ご本人が休む覚悟が決まったら、休職診断書を書いてお渡しします。
そうすると結構上手くいくことが多いのです。
開院当初から必要な方にはそのようにアドバイスしてきました。
休職中の過ごし方についてはここには書けませんが、私独自の考え方も伝授します。
昔の銀行員など、一回休職すると出世ルートから外れる業種もあって、私も患者さんと一緒に何が一番ダメージが少ない方法か頭を悩ませてきましたが、今は一つの会社にこだわることもなくなりました。
休職して思考力が戻ってから今後のことを考えればいいのです。
うつ病は決して人生の終わりなんかではありませんよ。
(注:当院では、「治療は必要ないけれど、ご本人の希望で休職診断書を作成してほしいというご要望での初診は受け付けていません。休職の要否は当職の診断ののちに判断することにしています。オンライン診療で安易に発行された診断書の継続の診断書作成も致しません。)
(注:うつはうつでも色々な種類があり、発達特性、パーソナリティ特性、双極性、慢性うつなど状態に応じた対応が必要です。上記が全てに当てはまるわけではありません)
良いクリニックや病院をどうやって見分ければいいんですか?
他のクリニックや病院でひどい目にあった経験がある方によく聞かれる質問です。
いいか、わるいか、絶対的な基準というよりは結局相性なのかな、とも思います。
うちみたいに、こだわってやっているところは合う合わないあると思います。
ただ、私は医療人なので、「しっかりした誠実な医療をやっているのかどうか」
自分や家族が患者だったらどこにかかりたいか、この1点にはこだわって判断します。
私は私自身がかかりたいと思うような医療を実践すべく日々努力していますが、接遇や営業的な側面ではかなり弱いとは思っています。
一番確実なのは自分がまともだと思う医師からおすすめの医師を聞くのが良いと思いますが、
一般の人はなかなかそういう情報にアクセスできませんね。
医療にどっぷり使っている人は、一般の皆様が想像している以上に正義感が強いです。
また善意がある人も多いのです。(今少々荒れている人もいるのは、追い詰められているからです)
たとえば通院中の患者さんが妊娠すると、どこの産婦人科で出産しようか迷うことがあります。
無難に?近くの大きな病院を受診する方も多いのですが
何人もの患者さんが担当医の対応に不信感を抱いてきました。
とても悩んでいたところ、保健師さんも同じ意見だといわれたそうで、悩みがさらに増し、私に相談されました。私はあっさり別の病院を勧めたところ、本当に安心してすごせたと喜んで出産することができたそうです。
一般の方はどのように病院を選ぶのでしょうか?
Googleレビューを参考にされる方も多いと思います。
我々には、「これはやらせ=ステルスマーケットの口コミだな」「これはモンペにからまれちゃったんだな」「業者の書き込みだな」「これはほんとっぽいな」
などと大体わかってしまうのですが、皆様には判別がつかないのかもしれません。
そこで、患者さんに聞かれたら答えているメンタルクリニックや精神科病院の口コミの見分け方の一部をお伝えします。
以下は専門家から聞いた精神科の場合の話ですが、、、
Google口コミ・レビューが4以上はやらせの可能性があるとのことでした。特に4.5以上というのはメンタルクリニック・精神科病院ではかなり現実離れしています。
メンタルにトラブルをかかえている方のなかには必ず攻撃的・他罰的な方がいて、どんな対応でも必ずトラブルになる人がいます。全員がいい評価というのはまずないです。どこでもトラブルになるような人は大抵医療機関でトラブルを生じ、その腹いせにGoogleレビューに書き込んでダメージを与えようとするのです。
開院してからまもないのに、やたらと口コミの数が多いのは、ほぼステルスマーケットの可能性が高いです。
手段は色々です。
口コミ業者を雇って、良い口コミをさせる
というものが以前は主流だったそうです。
見分け方は色々ありますが、やたら院内の写真、外観の写真など掲載して、他人に受診を勧める内容だったりします。
患者さんは普通写真など撮りません。
良い体験をした人は良い口コミをして他人に受診を促すのではなく、感謝の気持ちを伝える場として使うことが多いのです。
仲間のクリニックの近くにほとんど同じ名前の医療機関ができたそうです。
新しいクリニックのレビューはやらせの口コミでいっぱいでした。
しかしある日仲間のクリニックのレビューに、近くにできたクリニックに対しての賞賛のレビューが誤って書き込まれていたそうです。
慌ててレビューを新しいクリニックのレビューに引っ越しされていたとのことでした。
さくら業者が間違ってちがうクリニックの口コミを書いちゃった、そんな話です。
別の手段は、実際に患者さんにかかせるというものです。
初診の段階で、感想を聞いて不満に対応したのちに、口コミを書いてくれたら本を差し上げますとか、飲み物を差し上げますとか
その場で書くように促し、場合によってはどんな内容かチェックするそうです。スタッフの目の前で悪いことは書きにくいですね。
これは違法行為だそうです。
医療って割とそういうところは真面目にやっている人が多かったのですが、
ビジネスの悪い側面ばかりを学んできている人たちは平気でそういうことをするのです
株式会社が純粋に儲けだけを追求して参入してくると医療の良いところはどんどん失われていき、
続く
今日の診察の中で、患者さんと「自己肯定感」についてお話しする場面がありました。
「自己肯定感が低い」
「自己肯定感を高める」
そんな表現が巷で溢れています。
メディアでも若干誤解してこの言葉を使っており、多くの方が少し違った捉え方をしていると思います。
「俺ってすごいぜ」
「俺、完璧」
「ラーメン、つけ麺、僕イケメン♪」
こんなふうな感覚が「自己肯定感」としてイメージされていますでしょうか?
最後のはちょっと違うかもしれませんが・・・しかも古いか、、、
以前のブログでもお話ししたことがありますが
「自己肯定感」ってもっと控えめなもので
「これでいい」
「こんな私だけど、それでいい」
「これで〜いいのだ〜これで〜いいのだ〜ボンボンバカボン、バカボンボン」
という感覚です。
最後のは昭和世代にしかわからないかもしれませんが、笑。
すごくなくて全然いいのです。
キラキラしていなくていいのです。
インスタで羨ましがられる生活しなくて全然構いません。
私の場合、精神科医として「これでいい」と思えるようになったのは正直最近になってからかもしれません。
医療が生身の人間を相手にしており、まだ解明されていないこともたくさんある中で、「完璧な医師」というのは成立し得ないのですが、ずっと完璧になりたいと思ってきました。どんなに勉強してもどんなにあがいても、わからないことがたくさんあって、うまく行かないことがある。
でも、クリニックをはじめて10年間、ひたすら丁寧に、納得がいくまで、特に初診を大事に診察して最初の見立てとその後の答え合わせをするということを繰り返してきました。
5分の初診で患者数をこなす医師もいれば、初診の大半を心理士やPSWに任せて最後だけ医師の診察で締めくくるという医療機関も多い中、医療経済上とても効率が悪いと言われようが、専門医が最初から最後まである程度の答えが出るまで時間をかけて初診を行うということを愚直に繰り返してきました。患者さんが抱えているものが大きな場合は2時間以上かける場合も少なくありませんでした。
その結果、やっと自分なりに納得のいく見立てができるようになってきました。
決して完璧でも完成でもありませんが、ひとまず、今のやり方で良いと思えるようになってきたのです。
折しも、患者さんからのポジティブなフィードバックを次々といただけるようになり
それを噛み締めています。
10年前とは別の次元になってきました。
ここ1週間の例では、
「今まで何十年と人に理解されないだろうと思って話すこともしなかったけれど、今回先生に話してみようと思って理解してもらえるという体験が衝撃的でずっとあった胸のつかえがとれました。先生はすごいとおもいました」
「はじめて先生に傾聴してもらった時、水中にいるような一瞬空気が止まったような、なんだこの静寂な世界はという感覚がしたことを覚えています。自分のこだわりが足を引っ張っていることに気がつきました」
「当たり前のようにたくさん話をさせてもらいましたが、自宅に帰って友人に話したら、こんなに初診でじっくり聴いてくれてきちんと評価してくれるところは他にないよって言われました。本当にありがとうございます」
こんなありがたい感謝の言葉をいただきました(ご本人たちのお言葉其のまま)。
その他にもお褒めの言葉を頂戴しました。
俺ってすごいぜ!
あれ?なんか違いますね、そういう話ではありませんでしたね。。。
これはうぬぼれに近いかもしれません。
うぬぼれはよくありません。
すみませんふざけてしまい、ちょっと照れ隠しです。
これからも健康に気をつけながら、しっかりとした診療を行なっていくという今までの方向性でやっていきたいと思っています。
さて、冒頭の「自己肯定感」。
やはり生育環境の影響は大きく、親からの心理的虐待など受けてきた方が「自己肯定感が低い」大人になりやすいと感じています。
虐待の難しい問題は、「こんなことをするひどい親」なのだけれど、「やっぱり親に愛されたい、認められたい」「親だから嫌いになれない、親のことがどうしても気になる、親を否定しきれない」という葛藤が生じやすく、自分自身のあり方に混乱が発生してしまうことです。この矛盾した葛藤があるからこそ虐待の問題は苦しいのです。これは人生の長い間の課題となります。
こういった被虐待の問題を抱えた人たちが、その苦しみから抜けるためには、一旦「親は自分の望む形では愛してくれないのだ、事情があってそういうことができない人なのだ」と親に期待することをいったん諦めることではじめて再生が始まります。
自分の頭の中、心の中に棲みついて、「自分を否定する、責める、見捨てる親」の存在に気がついて、自分なりの親との適切な距離を見直す必要があります。
例えば、親とはお盆と年末年始にしか会わない、年に1回連絡を取るだけにする、別居する、
あるいは一切関わらない、そんな選択肢もありだと思います。
自分でどのような距離を保つか選ぶのです。
そこからはじめて辛かった自分を慰め、癒し、育てて再生することが始まります。
そういった一連の再生を支援するために「心の安全基地」が必要となるのです。
患者さんのことをしっかりと理解し患者さんの持つ本来の良さをきちんと評価してあげる「心の安全基地」となることが開院のテーマでした。
10年ほど前のブログに書いたかもしれませんが、当院のロゴマークはそのような意味を持っているのです。
当院で全ての方を受け入れることができないのは心苦しいのですが、多くの方に「心の安全基地」を実感していただけるようになったことはこの上ない喜びです。
いつもありがとうございます。
https://www.uta-net.com/movie/3150
ちなみに親子関係のカウンセリングなどは当院ではやってませんので悪しからず。
虐待親の治療も行なっていません。
治療対象となる症状を抱えた方々の背景にある問題を、診察の中でタイミングを見計らってご指摘したり、助言したりしながら症状の改善を目指すのが当院の治療となります。
良い評価・口コミをいただきありがとうございます。
この方も長い初診受け入れ中止期間をお待ちいただいた方ですね。
大変お待たせして申し訳ありませんでした。
と同時に当院の価値を見出していただき心より感謝いたします。
全ての初診に2時間以上かけているわけではなく、必要に応じてどこまで掘り下げるか考えながら診察を行なっています。
今回は問題の根っこが幼少時の環境にある症状を認めたため、駆け足かつ長時間お話を伺いました。
怖くて辛いお気持ちに蓋をしてずっと頑張ってこられたご様子が手に取るようにわかりました。
診察でだいぶお疲れになったり、お気持ちが揺れたかと思います。
これまでに受診された医療機関では解離症状を伴う不眠に対しての診断や治療がなく、不眠=睡眠薬で対処されていたようでした。
不眠の原因は何か?可能な限り背景を掘り下げていくだけでも色々なことがわかることがあります。
このようなことからも初診の段階でボタンをかけ間違わないようにしっかりと評価することが大切であると常日頃思っております。
時間がかかったり簡単ではないと思いますが、誠心誠意の診療を心がけて参ります。
症状に一喜一憂せずじっくりとゴールに向かって進んでいきたいですね。
当院のパニック症、広場恐怖症専門外来には大勢の患者さんが遠方からもお越しになっています。広場恐怖症なのに電車4本乗り継いでくるって、、、ご無理なさってないですか?笑。
それだけ治したいと本気で当院を目指してお越しになっているのです。
悪魔の財務省の陰謀で診療報酬を減らされているので、保険診療を続けるのであれば、とにかく簡単にさらっと診て、できる限り数を診ていくようにせざるを得ません。
でも、わざわざ遠方から本気で通院してくる患者さんに適当な診察で済ませるわけには・・・
この辺が私の甘いところですが。
20年前はパニック症すら知らない精神科医がどの患者にも「不安神経症」という診断名をつけ、デパスやソラナックスを一日3回服用、などという残念な処方をしていることも珍しくありませんでした。
10年前は広場恐怖症を知らない精神科医が不安発作を認める患者すべてにパニック障害という診断名をつけ、これまたソラナックスを一日3回服用という残念な処方をしているのが散見されてました。
いまは広場恐怖を知らない精神科医はさすがにいないと思いますが、
広場恐怖の中身がわかっていない精神科医はまだいます。
一旦デタラメな治療をはじめられてしまうと、修正が難しくなりその後の治療がやりにくいので非常に迷惑だと感じておりました。
「操作的診断は本質的ではない」などとつべこべ言い訳せずに、最低限DSM-4くらいは頭に入れとけや、と若かりし私はイラついていたのでありました、笑。
パニックや広場恐怖は治療が簡単だから・・・、と言う精神科医もいると思います。
確かに、治療しやすい疾患です、笑。
わざわざ専門外来と名乗るようなものでもないかもしれません。
本当に適当にやれば、1分くらい話聞いて、薬さっと出すこともできなくもありません。
それがたまたまじっくり診察した結果と同じになる場合すらあります。
しかし、掘れば掘るほど奥が深いのです。
広場恐怖になりやすい人はどのような人でしょうか?
詳しい問診で生育歴、発達歴、心理的要因など色々なことがわかります。
当院ではトータルに評価しますので、予後や他の病気の併発などさまざまな見通しを立てるようにしています。
診察時間に余裕があるときには広場恐怖の患者さんにいろいろなたとえ話をしたり、病気の名前の由来についてお話することがあります。
私の記憶がただしければ、という前提で読んでほしいのですが、
「広場」ってなんぞやって皆さん思いませんか?
TV露出が多い精神科医が以前TVで広場恐怖の間違った解説をしていました。
それくらい広場という日本語と疾患の中身にギャップがあるのです。
そのヒントは古代ギリシアにあります。
現在の医学に古代ギリシア医学が多大な影響を及ぼしており、「ヒポクラテスの誓い」を医学生の時に学んだ記憶があります。
広場恐怖はギリシア語を語源とし、agoraphobiaと言います。
アゴラ=広場は古代ギリシアで、城壁に囲まれた人々が集まる公共の場所を指します。
(ここから先は私の記憶によるものであり、ネットでも確認できませんでしたが)
アゴラでは政治が行われていました。
政治はそれそれの利害関係を調整するための戦いでしたから、
民衆が密集し揉みくちゃになって喧々諤々議論していたのです。
身動きが取れず、すぐにその場から離れたいと思っても逃れられないのです。
ということで、広場はだだっ広い空間という意味ではないのです。
誤訳とまではいかないまでも、もっと別の日本語を使えばよかったのではないかと思います。
満員電車で気分が悪くなってすぐに降りられなかった、
そんな体験から広場恐怖を発症する人もいます。
パニック障害を発症してから、徐々に広場状況が苦手になっていった人もいます。
満員電車、電車の急停止、集会、会議、学校説明会、映画館、高速道路、渋滞、トンネル、歯科治療、美容院、美容室、美容院の顔タオル、MRIなど
様々なシチュエーションでそれぞれの「すぐに逃れられない状況」があります。
何がダメで何が大丈夫なのか、人それぞれで、その違いから特性の違いを考察もします。
部分的な自閉スペクトラム特性で感覚過敏がある方では、ごみごみ、ざわざわした情報量が多い状況がもともと苦手であったり、過剰な記憶力がわざわいして発症リスクが高いと私は考えています。
ADHD傾向の人はそもそもじっとしているのが苦手で会議などで発症するかもしれません。
あるいは分離不安によって本人が安全と感じる場所(たとえば自宅など)から離れること自体に不安を感じるケースなど単なる行動療法では改善が期待しにくいケースもあります。
そのほか詳しく見ていくといろんなパターンがあって、それによって予後もだいぶ変わります。
また広場恐怖を発症する機序には動物的な本能もかかわっています。
診察室で私の例え話を聞いたことがない方はぜひリクエストしてください。
当院では、割と重めな症状の広場恐怖の方でも行動療法に持ち込みやすいようなオリジナルの工夫を凝らした治療を行っています。
従来の行動療法、認知行動療法では若干スパルタな要素があり、治療に乗せられないひとがいたり、スパルタすぎるカウンセラーによってより深刻なトラウマを作り出してしまうこともあるからです。
精神医学だけではなく、私が大好きだった循環器内科の研修時に学んだ臨床医学を融合させた治療はぜひ体感していただきたいと考えています。
このあたりは当院の強みであると自負しています。
ただし、すでに他の医療機関で治療している場合、特にデパスやソラナックスを定期的に服用されている場合は、当院での治療修正が困難な場合がありお断りさせていただくことがあります。どうかご容赦ください。
じじいの自慢話
じじいの説教
じじいの昔話
は嫌われる
ぞ
上尾みつを
長い!
タイトルが、笑。
昭和の皆様はわかりますよね?山口百恵さん。
昨日の診療のカルテを書いていたところ、日付が変わってしまいました。そのまま寝落ちしてました、、、
年末年始も仕事でクリニックに行ったり来たり。ほとんど休めませんでした。
初診の受け入れを止めて、この一年では100人単位での受診数を減らさせていただきました。
たまに初診のための診察時間を捻出できる日が時々できるようになりました。タイミングよくご連絡いただいた方は初診で受診できる可能性があります。
狙い目としては、年末年始の休診の4週間後などです。逆に冬休み前後は激混みなので初診受け入れはほぼ絶望的です。
そんな中、三年前より当院に初診待ちをされている方が受診に繋がりました。ご連絡いただいたタイミングでは受け入れ中止のアナウンスをされ、それを繰り返していたそうです。今まで何ヶ所か医療機関を受診されいろいろな思いがあったこの方は「次に受診するなら上尾メンタルクリニックしかない」と決めていたそうです。
ほんと、ごめんなさい。
かなりつらい症状だったのに、お待たせして
申し訳ないです。
私の診察を長らくお待ちになっている方が少なくないのです。
最近はこのような方が少なくありません。
遠方からわざわざお見えになる方も増えてきました。
詳しくお話し伺っても、「とりあえず一回診てほしい」ではなく、本気で治療を受けたい方々なのです。
真剣な人にはやはり私も気が引き締まりいつも以上に全力で対応してしまいます。
「良くしてあげたい!」と言う気持ちが強くなります。
良いことであるようにも見えますが、気合いが入りすぎると空回りしてうまく行かないこともあります。
テニスで打とうと思うと空ぶっちゃうやつです、笑。
また、私の心身の負荷も大きくなり疲労も激しくなってしまいます。
そこは少し気持ちを抑えて冷静に治療するように努めます。
そんなわけで、最近の初診は初診としてはほぼやり尽くせるだけ詳しく評価しており、問診票の読み込みなど合わせると1人2時間は費やしています。
カルテは何十ページにも及び、次の日は体がバキバキです。
年取るとこなれてきて、いい加減になってしまうことも多いと思いますが、私の場合は経験を積むごとに深く広くなって行きます。患者さんにはお勧めしない完全主義です。
永遠に貧乏暇なしです。
でも、
日本のどこかにわたしを待ってる人がいるのは嬉しいことですよ。
あゝ~
臨時休診明け。
どうやら今の所休み中に事件や事故が生じたという連絡はありませんでした。
毎回ドキドキしますが、ほっとしました。
広場恐怖の患者さんが、4時間高速渋滞を耐え、船にも乗ってこれたという嬉しいご報告。
思えば20年以上前、まだ不安神経症とパニック障害の区別さえできない精神科医が多かった時代、
私は「パニック障害と広場恐怖は合併することはあっても同じものではない!治療も同じではない!」と繰り返し訴えていました。
その結果?近隣の医療機関でも広場恐怖や嘔吐恐怖などの恐怖症の概念が広まってきました。(実はその背景にある発達特性まで詳しく評価しているところはまだ少ないです)
まだパニック障害と治療を変えているところは少ないですが、私の処方をそのまま模倣して処方されているところも出てきました。
上尾メンタルクリニックの広場恐怖症専門外来は一定の成果を上げてきたと言えると思います。
今は睡眠専門外来を頑張っています。
耳鼻科や内科で睡眠時無呼吸を扱っている先生の中には、解剖学的な問題で無呼吸やいびきが生じている側面だけをみて治療をしている場合がありますが、睡眠の問題はいろいろな問題が複合的に組み合わさっているので、そんなシンプルではありません。
睡眠薬が本当に必要な状態かどうか、脳の発達の観点からみた感覚過敏や同一性による過覚醒の持続があるのかどうか、
発達障害によるリズム障害や特発性過眠症の有無などの視点を含めて睡眠をトータルで評価する必要があります。
これからも細かく深掘りしたこだわりの診察による診断治療を行なっていきます!
猛烈に忙しくて、睡眠不足で、
今日は本当は友人に誘われたジャズライブを観にブルーノートに行く予定でしたが、
キャンセルすることになって、
あ〜きついな〜とため息まじりのおじさんに
こんなメールが。
過分にお褒めいただき、嬉しいやら恥ずかしいやら。
この方の文章が綺麗で美しくて、なんだか背筋がスッと伸びました。
私も毎日全力で診療しています。これは、ほんと。
それゆえ、ものすごく一所懸命に診療しているのに、極端に失礼な態度を取られたり、仇で返されるようなことがあると、
やっぱりそれなりにピリッとした受け答えをすることもあります。
ですから、このような評価をしてくださる方というのは、この方ご自身がこの綺麗な文章と同じ心で受診してくださっているということなのです。
ありがとうございます。
額縁に入れて診察室に飾りたいな、笑。
バリバリのビジネスマンでもないのに毎日メールが100件近く届きます。
さばききれないので、DMは極力受け取らないようにしているし、配信中止の手続きを行なってなるべくメールの数は減らすようにしています。
中には知人からのディープな相談だったり、返信内容を考えるのにとても時間がかかるものもあります。
バタバタしていると返信し忘れてしまうメールがあったり、見逃してしまうことも時々あるのです。
事業主なのでGoogleビジネスを管理しているのですが、Reviewがあるとメールに着信があります。
先ほど見過ごしていたそのメールに気が付き、確認しました。
当院を評価してくださるレビューは、レビューするのが趣味な人がついでに書き込んだような体ではなく
わざわざ私にメッセージをくださるためにアカウント作って手間暇かけて書いてくださっている感じがとてもするのです。
これはかなり心が温まりますね。
正直本当に嬉しいです。
この方がよく理解してくださっているな、ということの一つに
「はっきりと言う」という点があります。
意識してはっきり説明するようにしています。
はっきり言うと傷つく場合もありますが、
そうしないと伝わらないことが多いのです。
患者さんが自分のことを理解できるようになることは患者さん自身の力になります。
治療の過程で明らかになって、このタイミングだと思った時に共有していけるよう気を配っています。
もちろんわからないこともありますが、当院ではできるだけ初診時に見立てをはっきり説明するし、質問をいただいたらできる限りの説明を怠りません。(1回に10個とか質問される方も居ますが、それはごめんなさい、全部は答えられません)
上記の点をご評価いただき、よく気がついてくださってわざわざ手間をかけてお伝えいただき大変励みになります。
至らぬ点も少なくないと思いますが、これからも力を尽くして参ります。
心より感謝申し上げます。