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1月 5, 2026

維新のデタラメ。

社会保険料ってどうよ?

今日はまたもや私の印象を悪くする政治的な内容です、笑

 

日本維新の会―「身を切る改革」の矛盾

 

社会保険料削減を掲げながら、維新の議員らは制度の抜け穴を利用か

 

日本維新の会は、国民の負担軽減を掲げ、社会保険料や税負担の見直しを政策の柱として強く訴えてきた政党です。

にもかかわらず、複数の所属議員らが高額な国民健康保険料の支払いを回避するため、制度の“抜け穴”とも言える脱法スキームを利用している疑惑が国内で大きな波紋を呼んでいます。

 

1. 国民健康保険料と社会保険料―本来の趣旨

日本の社会保障制度では、原則として次のように扱われます:

  • 個人事業主やフリーランス、国会議員は国民健康保険に加入し、前年所得に応じた保険料を全額自己負担します。
  • 一方、会社員は社会保険(健康保険・厚生年金)に加入し、保険料は労使折半となるため、同じ所得でも個人負担は軽くなります。

この違いは、応能負担の原則(稼ぐ人ほど負担が重いべきという考え方)に基づいて制度設計されています。

2. 疑惑のスキームとは何か

報道によれば、疑惑のスキームは以下のような仕組みです:

  1. 一般社団法人の理事に就任する
  2. 法人からの役員報酬を受け取り、社会保険の加入資格を得る
  3. 役員報酬を意図的に最低水準に抑えることで、社会保険料を大幅に減らす
  4. その結果、従来支払うべき高額な国民健康保険料を回避できる可能性がある

この手法を紹介する指南書では、国保料から社会保険料に切り替えることで、年間50万円〜80万円以上の負担を減らせた例を挙げています。

登記簿に載る一般社団法人には600人を超える理事がおり、中には維新所属議員の名前も複数確認されています。こうした点が疑惑を強めています。

医療や介護のタダ乗りに近いことをしようとしていると言っても過言ではありません!

国会議員が電車やバスにこども料金で乗車するようなものです。

3. 「社会保険料を下げる改革」との矛盾

維新の会自体は党として、社会保険料の負担軽減を政策として打ち出しています。例えば、医療費負担軽減や保険料の応能負担の見直しなどを主張していますが、議員自身が現行制度の抜け穴を利用して負担軽減を図る行為は、次のような矛盾を生みます:

  • 公的制度の本来の趣旨を損なう可能性
  • 国民との負担の公平性に関する信頼を著しく低下させる
  • 政策としての整合性が問われる

制度の改善を主張するのであれば、自ら率先して制度の枠内で負担を引き下げる提案を行うべきであり、抜け道利用は政治倫理に反します。

4. 公共の信頼を損なう政治の劣化

社会保障制度は、多くの国民が負担と給付という形で支え合う仕組みです。その制度の公平性は、政治家自身が率先して守るべき最も基本的な倫理です。

維新が掲げる改革の理念が真に国民のためであるならば、制度の悪用や脱法スキームへの関与は厳しく批判されるべきです。

これでは、「身を切る改革」という言葉は空虚なスローガンに過ぎず、国民に対する裏切りと受け取られても仕方ありません。

 

5.維新にいってやりたい事、笑

偉そうに社会保険料改革だと?ちゃんと社会保険料払ってから言えよ!

連立だからって、離脱をほのめかして無理やり維新の言うこと聞かせるのは脅迫罪ちゃうんか!笑

 

 

 

1月 5, 2026

今年もよろしくお願いします。

仕事始め。

ありがとうございます。早速スタッフといただきました。

美味しい上に、とても縁起が良さそうです。

 

 

 

嬉しいお言葉、額縁に飾らせていただきます、笑。

あ、これね、この赤いペンは「良い内容だから囲っている」のではなくて、何か記載してくださっている方は私が見逃さないように受付で赤丸してもらっているんです。念の為、一応。

 

 

 

こちらの方は年賀状をお持ちいただきました。

だいぶ無理をされていたので、これからが人生の転機となるかと思いますが、

体勢を整える時間を作っていきましょう。

 

 

ありがとうございます。とりあえず復職おめでとうございます。息切れしないペースが掴めるといいですね。

 

先日ブログで書いた記事が呼び水のなったのかわかりませんが、今日は「死にたい」とおっしゃる方の臨時受診で1時間程度お話ししました。どうして死にたいのか?その背景にある本当の願望を探ります。そこに気がついてくれると良いです。

 

あるがままの自分を認められない

人と比較して劣っていることばかりが気になる

 

そんな方は「自己愛」の課題があるかもしれません。

当院ではカウンセリングはできませんので、ヒントや参考図書だけお伝えするにとどまりますが、

自惚れすぎず、卑屈にならずに過ごせますよう応援いたします。

 

ヒントに気がついてくれたら、今度は別の言い方をして欲しいな^^

 

1月 3, 2026

喜びの向こうには悲しみがある。

患者さんから感謝の言葉をいただくこともあります。
一方で、私と合わない方がいらしたり、治療がうまくいかなかった方がいらしたのも事実です。

残念ではありますが、それは避けられないことでもあります。

しかし、今でも、ずっと脳裏に焼き付いて離れない出来事があります。

このような場で語るのは難しく、精神科医同士であっても、研究会など改まった場でなければ口にされないことがあります。

それは、
私が主治医を務めていた期間中に、自ら命を絶たれた方がいらっしゃった
という事実です。

精神科医の中では少数かもしれませんが、私にはお一人います。
私が担当を外れてからの経過については、すべてを把握しているわけではありません。

当時、そのような兆候はまったく感じられず、私は大きな衝撃を受けました。

後になってから、
「ああすればよかった」
「こうしなければよかった」
と、悔やむことばかりが浮かび、
10年以上経った今でも、一日として忘れたことはありません。

そして、何より私に堪えたのは、
その方の遺書に
「先生にはお世話になりました」
と書かれていたと聞いたことでした。

これは、本当に苦しいことです。

振り返れば、私の師匠が
「自死の研究をするぞ」
とおっしゃり、私には拒否権もなく、その研究に関わることになりました。

そのような背景もあり、
自分は多少なりとも知識があるつもりでいました。

それは、大きな間違いでした。

それ以降、私は心の中で繰り返し誓っています。

「もう、絶対に死なせない

その思いで、今日まで診療を続けてきました。

「死にたい」とおっしゃる患者さんは、これまで数多く診てきました。

どれほど経験を積んでも、その言葉を聞くたびに緊張感が走ります。
そして、その方にとって何が最も適切な返答なのか、慎重に考えます。

「死にたい」という言葉を、字義通りに受け取ってしまえば、
それを支えることは、治療ではありません。

本当は、
「死にたいほどつらい。助けてほしい」
と、言ってほしいのだと思います。

正直に言えば、口癖のように「死にたい」と繰り返されると、
対応がしんどいと感じてしまうこともあります。

しかし、何も言わないまま、この世を去ってしまう方がいる以上、
「簡単に言うな」と切り捨てることもできません。

以前、
「対話型AIに希死念慮を訴えていたところ、
あまりにも寄り添いすぎた応答が続き、
結果的に自死に至ってしまった」
という出来事があったと聞きました。

この話が示しているのは、
ただ寄り添い、考えを肯定するだけが正解ではない
という現実です。

一人の医師ができることは限られていますが、

精神科医の仕事は、
共感しながらも、
踏みとどまるための視点を差し出し、
生きる側に引き戻すことだと、私は考えています。

とは言え、私も間違うこともあるし、たとえ正しい対応であったとしても相手の受け取り方で大きなすれ違いが生じてしまうかもしれません。

これからも何ができるのか考え続けるしかありません。

1月 3, 2026

仕事はじめまであと少し。

令和8年、西暦2026年を迎えました。

年末年始の休みに入るにあたり、To Do Listを30項目リストアップしました。
現時点で完了したのは10項目。

この30項目を終えたら、ゆっくり本を読みたいと思っていましたが、
どうやら果たせぬまま仕事始めを迎えそうです。

「クリニックは年末年始も休まず診療しろ」という世論誘導を、
財務省が行っているように感じることがありますが、
定期的に休みを取り、裏方の仕事に向き合わなければ、
クリニックの運営そのものは続けられません。

ここ最近の1年間は、私の中で一つの節目でした。
常に、いろいろなことを考えていた気がします。
脳みそがオーバーヒートするのではないかと思うほどに。

人生とは何なのか。
何のために生きるのか。
何のために働くのか。

小学生のころから問い続け、
その時々で自分なりの答えを作り出してきました。

きっと、正解はありません。
答えは一つではなく、人それぞれにあり、
そして年齢とともに変わっていくものなのだと思います。

年末年始は、一年を総括し、
こうした問いを改めて考える時間になりがちです。

このところ、患者さんから温かい感謝の言葉をいただくことが増え、
今の自分なりの答えの輪郭が、少しずつ見えてきました。

また、一つはっきり言えることがあります。

結果にかかわらず、「本気でやっているとき」にしか得られない高揚感が、確かに存在する
ということです。

怪我をしたり、病気になったり、
大きな喪失に直面することもあります。

それでも、上手に休み、リハビリをしながら、
また本気で向き合うことを目指していく。
そして、最後には死を迎える。

不安は消えません。
けれど、本気でやっているうちに、
その不安は先へ進むための原動力に変わっていく。
今は、そんなふうに感じています。

「50代は必死になるな」と言われることもあります。
無理をすれば、「必ず死ぬ」からだそうです。

それでも私は、
健康に留意しながら、
本気で楽しみ、
本気で苦しんでいこうと思います。

それは人とのつながりかもしれないし、達成感かもしれないけれど、

これからも私は感動したいし、

私とかかわる人に感動してもらいたい、

そんな思いがあるのです。