患者さんから感謝の言葉をいただくこともあります。
一方で、私と合わない方がいらしたり、治療がうまくいかなかった方がいらしたのも事実です。
残念ではありますが、それは避けられないことでもあります。
しかし、今でも、ずっと脳裏に焼き付いて離れない出来事があります。
このような場で語るのは難しく、精神科医同士であっても、研究会など改まった場でなければ口にされないことがあります。
それは、
私が主治医を務めていた期間中に、自ら命を絶たれた方がいらっしゃった
という事実です。
精神科医の中では少数かもしれませんが、私にはお一人います。
私が担当を外れてからの経過については、すべてを把握しているわけではありません。
当時、そのような兆候はまったく感じられず、私は大きな衝撃を受けました。
後になってから、
「ああすればよかった」
「こうしなければよかった」
と、悔やむことばかりが浮かび、
10年以上経った今でも、一日として忘れたことはありません。
そして、何より私に堪えたのは、
その方の遺書に
「先生にはお世話になりました」
と書かれていたと聞いたことでした。
これは、本当に苦しいことです。
振り返れば、私の師匠が
「自死の研究をするぞ」
とおっしゃり、私には拒否権もなく、その研究に関わることになりました。
そのような背景もあり、
自分は多少なりとも知識があるつもりでいました。
それは、大きな間違いでした。
それ以降、私は心の中で繰り返し誓っています。
「もう、絶対に死なせない」
その思いで、今日まで診療を続けてきました。
「死にたい」とおっしゃる患者さんは、これまで数多く診てきました。
どれほど経験を積んでも、その言葉を聞くたびに緊張感が走ります。
そして、その方にとって何が最も適切な返答なのか、慎重に考えます。
「死にたい」という言葉を、字義通りに受け取ってしまえば、
それを支えることは、治療ではありません。
本当は、
「死にたいほどつらい。助けてほしい」
と、言ってほしいのだと思います。
正直に言えば、口癖のように「死にたい」と繰り返されると、
対応がしんどいと感じてしまうこともあります。
しかし、何も言わないまま、この世を去ってしまう方がいる以上、
「簡単に言うな」と切り捨てることもできません。
以前、
「対話型AIに希死念慮を訴えていたところ、
あまりにも寄り添いすぎた応答が続き、
結果的に自死に至ってしまった」
という出来事があったと聞きました。
この話が示しているのは、
ただ寄り添い、考えを肯定するだけが正解ではない
という現実です。
一人の医師ができることは限られていますが、
精神科医の仕事は、
共感しながらも、
踏みとどまるための視点を差し出し、
生きる側に引き戻すことだと、私は考えています。
とは言え、私も間違うこともあるし、たとえ正しい対応であったとしても相手の受け取り方で大きなすれ違いが生じてしまうかもしれません。
これからも何ができるのか考え続けるしかありません。




