福島から。これも初めての味で。
なんとも上品で大人のクッキー。
なぜか群馬のコーヒー屋さんで買ってきてくださいました。
これね、豆腐にかけて食べたら、病みつきです。
うまくて生姜ねぇ
というネーミングが笑える。
福岡からのお土産。
このほかに福岡から冷凍物をもってこられました。どうやって!?
手間暇かけてすみません。
恵比寿の人気の和風アイス。
いつも東京のトレンドを教えていただきありがとうございます。
意外と流行に敏感なんです、笑。
初診の時は問診にたっぷりと時間を割きます。診断や治療についての説明も丁寧に行います。さらによほど時間が押していなければ、「わからないことはありませんか?何か質問はありますか?」と質問を受け付けています。
再診でも、患者さんから質問があれば必ずお答えしています。
むしろ質問には誠実にできる限りの回答をしています。これはもう私の性格といってもいいでしょう。質問されて無視したり答えなかったことは一度もありません。
ただし、診察のたびに毎回10個以上の質問を繰り返し、同じ説明をしても納得されず、私に「自分が期待する回答」を言わせるまで食い下がる方が5年に一人ほどいらっしゃいました。例えばアルコールに依存症の方が「アルコールを飲んでもいい」と私がいうまで「飲んでもいいか?」と繰り返し尋ねるケースです。その場合毎回診察時間が際限なく長くなり、次の予約患者さんを待たせてしまうのです。
そうしたとき「質問は大事なものを一つだけにしてください。一回の診察で一個。」「その件に関してはすでに何度もお答えしましたので繰り返しません」というお願いをすることがありました。
基本的に、質問にはきちんと答えます。
ただし、「わからない」というのもあります。
この「わからない」にはいろいろなレベルがあります。
・私がすぐに思い出せないだけ
・世の中には解答があるはずだが、私がしらない
・解答そのものが存在するのか不明
・わたしがわからないだけでなく、そもそも医学的にまだ解明されていない
もし解答がありそうで、治療や診断に関わるならば、「宿題」として持ち帰らせていただき、調べたうえ後日回答します。
私が最も大切にしていることは、わからないのに知ったかぶりをしないこと、そして難しい言葉で煙に巻くようなことをしないことです。知ったかぶりほど信用を失いことはありません。
私が顧客や患者の立場であれば、営業担当や販売員、医師などが「わからないときにどう対応するか」それを見てその人が信用できるか判断します。
以前、「質問にも答えてくれない。さっさと病院を変えたほうがいい」というレビューを書かれたことがあり、これはすぐにデマの書き込みだとわかりました。
誰が書いたのかは察しがついています。
私の正義感を疎ましく思う人もいて、そのデマに賛同する人もいたのです。
しかし、当院で実際に治療を受けていらっしゃる方なら、私の質問に対する向き合い方はおわかりかと思います。
先日、質問をいただき、宿題として後日お答えした方が、とても感激してくださり、わざわざ「先生のお時間を割いて申し訳ない」と差し入れまでくださいました。
ベストな解答には至らなかったですが、一緒に考えるという経験はよかったのではないでしょうか。
専門外ながらも私も知っておいたほうがよい内容だったので、どうかお気遣いなさらないでください。
それから、このお菓子、初めて食べましたが、独創的なお菓子で美味しかったです!出勤しているスタッフみんなでありがたくいただきました。
こちらも楽しみにしていただきます!
ここ数年で一番ガタガタな診察がありました。
ご家族がいらして、患者さんと配偶者の3者面談(正確にはお子さんもいらしたので4者面談)を行なったのです。
全く集中できず、わかりやすい説明もできませんでした。
お子さんは赤ちゃんで、時折ぐずったりはありましたが、激しく啼泣していたというわけでもありませんでした。
ただ、ご両親が赤ちゃんの動きに意識が向かっており、お二人とも同時に私の話に集中できていないのがとてもよく伝わってきたのです。
患者さん家族が悪いのではなく、私の計算違いでした。
私の苦手なシチュエーションが今回よくわかりました。
それは相手が聞いていようが聞いていまいが一方的に話をする、ということが私は苦手だと気が付きました。
普段の診察では私は相手の表情や声のトーン、視線などよーく見ています。
理解できたか?納得できたか?
何か引っかかったのかな?
それを感じ取りながら話を進めます。
ずっと長いこと患者さんと私でお互いに集中した診察を続けて来たのだと気が付きました。
相手がこちらの話にほとんど集中できていないとなると、相手が聞いていないのに話を先に進めていいのかわからないのです。
説明は分断し、流れで理解してもらうこともできなくなります。
今回のご家族はきちんと赤ちゃんに注意を向けていてとても素晴らしいのですが、
やはり大事な話の時はなるべく預けてもらった方が良いようです。
せっかく暑い中ご足労いただいたのに、申し訳なく、私もちょっと落ち込んでしまいました。
今までご家族の入室に関してはシビアにコントロールしてきてとてもうまくいっていたので、
初心に帰って段取りしようと思います。
コレステロールがいくつ、
血圧がいくつ、
血糖値がいくつ。
この数値の場合は、この方法で、この薬使って。
内科の先生の中にはガイドライン一直線、マニュアル一本で
基準値を目指す医療を行なっている人も少なくない。
精神科もマニュアル的な治療で統一しようという方向に向かっている。
それも大事だけど、当院では基準値を目指すことを目標とせず、その人それぞれが心地よく生きていくためにどうするかを考えていく。
その結果基準値と大きく違っていたって構わないと思う。
発達障害の過剰診断を批判する医師もいるけれど、発達障害の部分特性のために精神疾患を発症している人はとても多い。
誰にでも発達障害の特性を多かれ少なかれ認める。
いくつかその特性が重なったり、突出することで掛け算的に生活に支障をきたすことも少なくない。
だからこそ、私は細かな特性もきちんと評価する。
その結果をフィードバックすることで患者さんが自分自身を理解し、自分の上手な扱い方を習得できるようになっていく。
基準値から外れていても、お薬を使って生活が豊かになるのであれば、それでいいのでは。
薬なしで基準値の健康体でありたいという無理な理想を追求していても、ずっとつらいまま。
睡眠薬だってそう。
幼少期の虐待経験で子供の頃から夜眠れなかったという患者に、「生活習慣をちゃんとしろ」「薬なんかに頼るな」
って言い続けるのは拷問だ。脳が常に警戒している過覚醒モードを記憶しているからだ。朝の日光を浴びたって、日中運動したって、夜に入浴したって、ダメな時はダメだ。
長いことアルコール習慣がある人も、自力で睡眠を取る力や不安を軽減する自前の力が衰えてしまう。
眠れないことで脳がオーバーヒートを生じやすく、うつ病発症や認知症のリスクも上昇する。
睡眠時間に脳の中のゴミが排泄されるのに、睡眠が取れなかったら認知症の原因になるゴミも溜まりやすい。
不眠が続くことで不具合が生じやすいのは当然だ。
「睡眠衛生指導さえすれば全ての患者は眠れるようになるはずだ」というのは妄想だ。
「睡眠薬が悪だ」というのも絵空事だ。
基準値にならないといけないのではなく、基準値ではない状況を変えることができなくても快適にするにはどうしたらいいのか、
それを毎日追求している。
結果的に睡眠薬を継続することでなんとか生活を維持している人もいる。
全員が「薬なしで健やかに」という基準値になるはずだというのは机上の空論もいいところだ。
今日は転居のため、今日を最後に転院される方とお別れの挨拶をしました。
その分野では有名な方ですが、人間関係に消耗しこちらを頼って見えた方です。
色々な困難はありましたが、さらに社会的な実力、地位も身につけ、ストレスを乗り越えるレジリエンスを身につけられました。
組織のトップになられ、引退される頃には治療も卒業かと思われます。
医師としてではなく、私個人として思っていることをお伝えしたら、泣いておられました。
オンライン診療やるから転院しなくてもいいですよ、笑。
私がお勧めできるクリニックへの紹介ですから大丈夫だと思いますが、嫌だったら戻っておいで、笑。
というのは冗談ですが、一生忘れないだろう患者さんとなりました。
あなたの治療、時間もかかったし、なかなか大変でしたが、感慨深くもあり、私自身勉強になりました。
お元気で!
8月15日。世の中はまだお盆休み真っ只中ですが、当院はスタッフに無理をお願いして診療を再開しました。
(長く休みすぎると患者さんに迷惑がかかりますし、休み前後の混雑がどうにもならなくなってしまうのです。)
もっとも、これまでお盆休みを通して診療を続けたこともありますが、実際にはそんなに混まないんですよね。やはり年に一度のお盆なので、皆さん、帰省やお墓参り、旅行など大切な用事があるようです。
診療を再開した今のところ、不穏な知らせもなく、大事に至った患者さんもおられないようで、少しホッとしています。
被爆二世として
この時期になると、テレビでは毎日のように戦争や原爆に関する番組が放送されます。さきほど帰宅してテレビをつけたら、『火垂るの墓』が流れていました。
唐突かもしれませんが、ここで一つ、これまで誰にも語ってこなかったことを書きます。
私の祖父母と父は広島で被爆しました。体の弱かった父は「ヒバクシャ」として差別され、からかわれ、いじめの対象になったそうです。その体質の一部は私にも受け継がれ、弱点となっています。父は長く働き続けることが難しく、その影響で私の生育環境も大きく左右されました。私は「被爆二世」なのです。
とはいえ、「自分ができないことを被爆のせいにする」ことはしたくありませんでした。むしろ、恵まれた環境ではなかったからこそ、それをバネに頑張れた部分もあります。
精神科病院で働いていた頃、ある年長の医師(地方国立大)から「箸より重いものを持ったことのないボンボンだろ」と嫌味を言われたことがあります(偏見、誤解もいいところですが…)。ただ、それだけ妬まれるということは、裏返せば認められていた証拠でもあるのだと思っています。
今だから語れること
「被爆二世だから」「生育環境がこうだったから」と、今さら言い訳するつもりはありませんし、そう受け取られることもないだろう。そう思えるようになったからこそ、今ここで書いています。
現在の自分は、自分自身の努力に加え、友人や先輩、恋人、そして患者さんや仕事で出会った方々に支えていただいた結果で成り立っています。
人間と「悪」について
被爆二世という立場上、戦争や原爆については複雑な思いを抱き続けています。
医療の現場で多くの方と向き合う中で痛感したのは、人間には「性悪説」があてはまる部分があるということです。人は生まれてから愛情を受けなければ愛を知りません。直接の暴力を受けなくても、放置されれば(今ではネグレクトは虐待とされていますが)、人を信じることや愛することができなくなり、怒りに支配されてしまう。
そうした人はやがて「悪」に傾き、犯罪や戦争に手を染めていくのです。独裁者を見れば、その根底に愛着障害の影があるように思えます。
もっとも、実の親から愛を得られなくても、他人からの愛情に救われることはあります。幼少期が最も重要ですが、思春期や青年期であっても温かい愛情を受ければ、その後の人格形成に影響を与えるのです。
しかし、一度「悪」に支配された心を変えるのは容易ではありません。だからこそ戦争も犯罪もなくならない。北朝鮮もロシアも中国も、簡単には変わらないのです。
現実と理想の狭間で
では、その事実をどう受け止め、どう向き合うのか。理想と現実のギャップをどう埋めるのか。世界はいまだに答えを出せずにいます。
日本においても、財務省の中の「悪」が、苦しむ国民を操作し、医療者叩きを利用して自らの不正や誤りから目を逸らそうとしてきました。その結果、社会には妬みや怒りが渦巻き、分断が進んでいます。独裁者が繰り返してきたことが、日本でも同じように行われているのです。
人間には「悪」が潜んでいる。
だからこそ、他人からの温かさに触れたとき、私たちは計り知れないほど嬉しくなるのです。
さいごに
『火垂るの墓』や『フランダースの犬』を観て、涙があふれるかどうか。
それは、人としての大きな分かれ道なのかもしれません。
なんかいつもとブログの形式が違いますね?
面識はないけど知り合いを通じてつながっている精神科医のブログの形式を真似てみました。
何事か!?と心配して下さった方、驚かせてごめんなさい。
とはいえ、私にとってはショッキングなことが。
私が「この世で一番嫌いな生き物挙げて」と言われたら、
「蚊」と答えますが、
嫌いな人が多いのはやはり「ゴキブリ」です。
10年以上ゴキブリ見てなかったんです。
ゴキブリが生息できない条件というのがあるようで、私も意識して実践していました。
ヒントはとにかく床に物を置かないことです。
自宅でもクリニックでもゴキブリフリーな生活を享受し、一生見なくて済むのではないかとさえ思っていたのです。
しかし、今日小さな虫を発見。
ゴキブリなわけがないと思っていたので、大量発生しているというカメムシが飛んできちゃったかな?とよく見てみると、
“ヤツ“でした。動きが速くてむかつきます。
今日は疲れを癒すために整体に行ってきて、その着替えが入ったエコバックの近くだったので、持ち帰ってきたという推測もできますが、それはそれはショックで。
ただ、一般的なゴキブリがいそうな場所では全然なかったので、そうだったと思うことにします、笑。
研修医の時に新宿のアパートに住んでいたときは、真っ黒なネズミが出てきたので捕まえたこともありました。
小さいころはスズメバチを捕まえて◯したり、怖いもの知らずだったのに、
ゴキブリ1匹でショックだなんてずいぶん私もデリケートになったもんです、笑。
お盆休みの最終日、公務員の産業医のためのオンライン研修の受講などまだまだやるベきことを残したまま終了。
明日から診療です。
皆様無事でありますように。
最終日になってしまいました。
朝からJAFを呼んだりバタバタで。
税理士への書類など。
個人的な雑務もすませます。
毎年恒例の奨学金基金への寄付も行いました。
ただ、今年は財布が寂しいので、
いつもの年の10分の1にさせてもらいました。
物価の上昇にはかなわんな。
久々に夢を見ました。
お盆だからかな。
私を指導してくださったお師匠先生が現れました。
現実世界でご指導いただいていたときは、優しかったけれど、内容は厳しかったかな。
なんでそうなのか?
と追求されるも、答えを教えてくれなかったり。
だから、いつもそれが引っかかっていました。
「なんでそうなのか?」と呪文のように頭の中をぐるぐる反芻していました。
師匠先生の教育方針かもしれないけれど、面と向かって褒められたことはなかったなぁ。
開業して必死で丁寧に診察を繰り返してきていろいろわかるようになりました。
やっと。
夢の中では、お師匠先生がニコニコ笑って、
良く勉強したじゃない!って褒めてくれたんです。
「はい、なんでそうなのか、やっとわかりました!」と答えました。
お盆中にあと誰に会えるかな。
今日は疲労で吐きそうになりながらも、厚生局への提出書類書いたり、頑張りました。
患者さんに渡す診断書類は脅威の集中力で全部かき上げましたよ!!
自分の追い込み方がやっとわかってきた。
受験の時にできてたら、とんでもないことになってたかも、笑。まあそんなには甘くないですね。
今日はあと税理士への提出書類を作成したかったけど、明日でいいや。
どうでもいいけどね、今日使わなくなったミニコンポをリサイクルショップに持ち込んだら6000円で買い取ってくれた。10年以上使ってたけど、新品のように綺麗にしていたからみたい。すごく気分が良いね。