精神科医になってから、何度か自分の人生を振り返ったことがある。
医学の中でのヒエラルキーはとても低いが、精神科は難しい領域だと思う。
医学だけでは扱えない要素がたくさんある。
精神科医自身が歪みすぎていると、正しい治療が行えないことがある。
精神科医には変わり者が多いのではないか、という他科の先生は少なくないが、
実は私もそう思っている。
人格者であることを期待することも見当ハズレかもしれない。
ただ、治療にあたるときは、自分自身の歪みや癖を知っていることが必要なのである。
そうは言ってもその訓練をしている精神科医は少数派。
しかし、私は自分の歪みを知るために、何度か教育的なカウンセリングを受けたことがある。
別の機会にそれぞれ流派の異なるスペシャリストに自分の人生を振り返るお手伝いをしていただいた。
その体験は今の診療にとても生きている。(自分の生き方にも影響を受けるが、訓練でまともな人間になれるというわけではない)
そして今また、自分の人生を回顧している。
人生後半になって切実に生きるためかもしれない。
私に人より秀でた才能があるとすれば、優しさのある人間を見抜くことかもしれない。
幼稚園に通っていた時に、私を救ってくれた子がいた。
幼稚園児が幼稚園児を救うってどういうことかわからないだろうが、
その辺は省く、笑。
多分1年くらいしてどこかへ引っ越してしまいそれっきりになった。
20歳過ぎくらいの頃だったか、いきなり彼から電話があった。
「ちょっと今日泊めてくれないか?」
九州から彼は彼の友人とボロボロのシャコタン車でやってきた。
風呂無し共同トイレの4畳半の我が家で3人で川の字になって寝た記憶がある。
また会おうと言ったまま忙しく音信は途絶えた。
そして去年また突然彼から連絡が来た。
「子供がピンチだから助けてくれ」
彼と何度も電話やメールを重ねた。
幼稚園の時の恩義があるので、かなりのエネルギーを注いだ。
彼がどうして引っ越したのかも初めて知ったし、
彼の親が日本一有名になった人だったことも初めて知った。
そのために、というかそのせいで
大変な苦労をしたことも知った。
彼の子供とは直接あったことはないが、状況を詳しく聞くことで彼の子供がどんな状態で何が起きているのか大体見通すことができた。
そして徐々に収まるところに収まってきている。
とても感謝してくれた。
今日は皮膚科のことで知りたいことがあって久しぶりに同級生に連絡してみた。
とても活躍して忙しい彼は懇切丁寧に対応してくれた。
学生時代はそれほど付き合いがなかったけれど、遠目に見て彼の優しさを感じていた。
やっぱり優しかった。
私の才能のおかげか、笑
優しい他人に常に助けられて生きてきた。
年齢を重ねるにつれその有り難みの実感は増していくばかりだ。
優しさや愛情をわけてくれた人への恩返しは全力で行いたいし、
つながりに感謝しながら少し甘えてみるようにしている。
特に若いときに繋がった相手との愛着はますます深まっているように感じる。
必ず訪れるお別れに向かって、大切に噛み締めていきたい。
旧友に会ってみるのもいいかもしれないよ。
人を愛すると
自分に返ってくるんだ
上尾みつを