今日は消防署の産業医面談。
20代の消防隊員はとても清々しく頑張っています。
緊張感が続く中、厳しい訓練もあり、元気に過ごしてほしいです。
今日はJUJUが大宮に来てるみたいで。
たまにはコンサートにも行きたいですな。
夜はスタッフと元スタッフで食事をしました。
飲みすぎたかな?
総合診療科という科目が正式に認められて、どれくらいたつだろうか?
医師である限り、どのような病気であっても対処できるというのは憧れでもあるし、それができたらさぞかし万能感が満たされるであろう。
しかし、無限に広がっていく医学知識をアップデートし、全科で正しい判断をくだせるようになるというのは、実際はかなり難しいことである。
私もやはり精神科医になるにあたって、体を診る能力が低下するということにものすごい抵抗感があった。
それゆえに精神科の医局に入ってからわがままをいってしばらく身体科でのトレーニングを人よりも長くさせてもらった。
好きな循環器内科ではたった3か月間で「おい、やぎ~!右心カテまでやっておいて!」と任せてもらえるほどになった。
その甲斐もあってか、精神科医として地方の総合病院に就職しても、内科当直を問題なくこなせていた。
心不全による急性肺水腫を一人で緊急降圧しサクサクと治めてから、あとは入院させるだけという状態になって循環器の先生をコールした。
救急外来の師長さんには「内科の先生より救急ができる」とお墨付きをいただいた。
小児の救急も3年間は研修を積んだ。
下血の女の子の症状を不審に思い、直腸診のうえ血性腸液を培養に出しておいたところ、思わぬ病気が判明し、後日感染症センター長から大変褒められた。
ジジイの昔話、自慢話、説教はこの上なく嫌われるので、この辺にしておこう。
そういった経緯もあり、身体の状態や副作用に無頓着な精神科医に対して激しく嫌悪し、精神科医であってもある程度は体を診れるべきだと真剣に思っていた。
その流れで先輩が開業した障がい者の総合的な医療を実践されているクリニックに勤務し、内科、小児科、皮膚科、精神科を担当していた時期があった。
まあとにかく勉強が大変で大変で。
例えば糖尿の治療が革新的に変わった時期があると、一から勉強したり、あまりにも範囲が広すぎて、常に最新の知識に更新し続けることに限界を感じた訳で。世の中で総合医療的な診療している先生の大半は、すべての領域で専門医と同等の知識を持っているという訳ではない。どの専門に結びつけるか、その橋渡しをしたり、境界領域の当面の対応など、その役割を明確にした方がいいと思う。
診療自体はそれなりに真剣にやっていたので、聴診器を当てて心不全の兆候を指摘し、循環器内科受診を指示した患者さんから「もう少しで危ないところだった、命拾いした」と絶大な信頼を得たり、まあプライマリーケアとしては十分な機能は果たせたと思うが、自分で納得できる医療レベルはできないと感じた。
そこで、開業するときにはあっさりと「総合的に診れる医師」を諦め、精神科・心療内科に絞って専念することに決めたのであった。
精神科一本に絞り込んで専門医としてずっとやってきたのだが、精神科ですら全領域を極めて最新の知識でアップデートし続けるのは困難だった。手前味噌で鬱陶しいかもしれないが、こんな私でも大学受験の時に腕試しで受けた代ゼミなどの模擬試験で全校第2位の成績を得たことがあるほど、記憶力には自信があった。人格はダメだよねって言われたら何も言い返せないものの、勉強だけは少なくともできた。そんな私が必死にやってきても精神科すら全部を極めることができない。例えば、ある人は拒食症の治療の専門家であっても老年期精神医学が全然できなかったり、ある人はアルコール依存の専門家であっても他の部分はダメ、別の人は精神分析家だけど薬の使い方がダメ、などとどうしても偏りが出てしまうのである。
私は神経症、身体表現性障害、心身症、睡眠障害に絞って専門性を深めていくことにしたのである
その結果非定型発達の問題を深く掘り下げることになった。
精神科病院では統合失調症ばかり診ていたので、クリニックでは診ないことにした。昔の精神科医は統合失調症こそが精神科の王道であると考える人も多かったし、本当は統合失調症の患者さんを見ることがクリニックの経営を安定させ収益をあげるコツだと言われていた。
高齢化社会においては認知症を見ることも将来的には経営面では重要で、勤務医時にいち早く認知症学会などに入会し、将来に備えようとした。認知症の専門家の先生が身近にいて最先端で認知症の診断を行なっていたことがあり、ちょっと飽きてしまった。放射線科でひたすら脳のMRIなどの機械操作と画像診断をトレーニングさせてもらったものの、クリニックでMRIを購入するハードルも高く、自前で画像診断もできないのでこれも診ないことにした。
拒食症や境界性パーソナリティ障害も大学病院ではそればかりを診ていたが、クリニックワンオペの診療には適さないため、診ないことにした。
そうやって対象疾患を絞っているにも関わらず、最新最深の知識と技術で診療を続けることがいかに大変なことか思い知ることになったのである。
そんな状況で、総合診療科医ってすごいじゃん!?って話になるわけだが、実際はオールマイティに見れる医師はいない。
偉そうに申し訳ないが、それなりにまともな総合診療医だと感じた先生は今までほんの数人しか出会ったことがないのである。
最近開業した総合診療医。精神科をものすごい見下していている。最近の若い医師は開業のときに挨拶にも来ない傾向があるようだが(爺医まるだし、笑)、挨拶も来ないし、あってもいないのに敵対的なのはなんなのだろうか。精神科にかかっている患者を見ると、「精神科の薬飲んでいるから、症状が出ているんだ。精神の薬なんか飲んでいるから気違いになるんだ」などとひどいことを言いうそぶく。その一方で、自分で向精神薬を大量に処方し、あれこれと治療しているのである。しかし診断はデタラメだし、治療もおかしいので、どんどん具合が悪くなってどうしようもなくなってしまった患者がいる。しかし専門医に頭を下げて依頼するのではなく、患者があれこれと専門医をあたって助けを求めていた。
私の親しくしている教授が主宰している大学病院にも患者の家族から助けを求めたが、その総合診療医の傲慢な態度と、かけちがったボタンがどうにもならず、結局引き受けてもらえず、患者家族は困り果てていたのである。遊びじゃないんだから専門外の治療の実験台に患者を使うなって言いたい。お前が思っているほど精神科の専門治療は簡単ではないんだよ。
別の内科医。総合診療をアピールしている神経内科医。神経内科や脳神経外科の中には自分達が医師の中で最も優秀であると信じてやまない先生が時々いる(まあ確かに勉強しているんだけど)。私が指導を受けた神経内科医の先生方は素晴らしい先生方だったんだがな。
うつ病のおばあちゃんに「精神科なんかかかるな、薬漬けにされて転んで骨折って死ぬぞ」と脅して抱え込んでいた。
どんどん重症化して希死念慮が強くなったため、私のクリニックに駆け込んだ。
彼がバカの一つ覚えのように使っている薬は全く病態にあっていなかった。結局薬漬けにしていた。というか、合っていない薬を使って、きいていないから上塗りをするっていうパターン。焦燥感の強いうつ病としてしっかりと治療を始めると徐々に元気になっていった。
この辺でも比較的田舎の地域で、「近所の内科だから、他に行くこともできない」と患者さんは苦しんでいたそうで、私が素晴らしいと思う近くの内科医を紹介してあげた。体調もよくなってダンスもしているらしい。
彼はその後も自分の能力では診療できない患者を抱え込むことで次々と深刻なトラブルを発生させた。
真面目は真面目なのだが、柔軟性を著しく欠き、コミュニケーションは一方的で患者に捲し立て、万能感を持って専門外のことも専門医に紹介せずに、患者の命を代償にしていった。
当院に通院している患者さんのご主人が彼を受診して治療していたものの、重症化を見逃され、気が付いて総合病院に入院したところ2日間で逝去された。
患者さんの無念といったらありゃしない。彼女は医療訴訟を起こそうか迷っているが、訴訟となるとなかなか大変だ。医療訴訟に詳しい弁護士も紹介はできるが、そのまえに彼女のくやしさを私が受け止めることが必要だ。だからこうして代弁しているのだ。
財務省と厚労省は医療費削減を掲げ、専門医ではなくて総合診療医としてのかかりつけ医を促進している。中途半端な知識で抱え込んで十分な治療ができずに亡くなっていく人が増えていくと懸念している。
私が言いたいのは一部の自信過剰な総合診療医の批判というより、総合診療医がいれば医療費を削減できて丸く治るという国の方針は正しくないだろうということです。
続く、
今日の診察の中で、患者さんと「自己肯定感」についてお話しする場面がありました。
「自己肯定感が低い」
「自己肯定感を高める」
そんな表現が巷で溢れています。
メディアでも若干誤解してこの言葉を使っており、多くの方が少し違った捉え方をしていると思います。
「俺ってすごいぜ」
「俺、完璧」
「ラーメン、つけ麺、僕イケメン♪」
こんなふうな感覚が「自己肯定感」としてイメージされていますでしょうか?
最後のはちょっと違うかもしれませんが・・・しかも古いか、、、
以前のブログでもお話ししたことがありますが
「自己肯定感」ってもっと控えめなもので
「これでいい」
「こんな私だけど、それでいい」
「これで〜いいのだ〜これで〜いいのだ〜ボンボンバカボン、バカボンボン」
という感覚です。
最後のは昭和世代にしかわからないかもしれませんが、笑。
すごくなくて全然いいのです。
キラキラしていなくていいのです。
インスタで羨ましがられる生活しなくて全然構いません。
私の場合、精神科医として「これでいい」と思えるようになったのは正直最近になってからかもしれません。
医療が生身の人間を相手にしており、まだ解明されていないこともたくさんある中で、「完璧な医師」というのは成立し得ないのですが、ずっと完璧になりたいと思ってきました。どんなに勉強してもどんなにあがいても、わからないことがたくさんあって、うまく行かないことがある。
でも、クリニックをはじめて10年間、ひたすら丁寧に、納得がいくまで、特に初診を大事に診察して最初の見立てとその後の答え合わせをするということを繰り返してきました。
5分の初診で患者数をこなす医師もいれば、初診の大半を心理士やPSWに任せて最後だけ医師の診察で締めくくるという医療機関も多い中、医療経済上とても効率が悪いと言われようが、専門医が最初から最後まである程度の答えが出るまで時間をかけて初診を行うということを愚直に繰り返してきました。患者さんが抱えているものが大きな場合は2時間以上かける場合も少なくありませんでした。
その結果、やっと自分なりに納得のいく見立てができるようになってきました。
決して完璧でも完成でもありませんが、ひとまず、今のやり方で良いと思えるようになってきたのです。
折しも、患者さんからのポジティブなフィードバックを次々といただけるようになり
それを噛み締めています。
10年前とは別の次元になってきました。
ここ1週間の例では、
「今まで何十年と人に理解されないだろうと思って話すこともしなかったけれど、今回先生に話してみようと思って理解してもらえるという体験が衝撃的でずっとあった胸のつかえがとれました。先生はすごいとおもいました」
「はじめて先生に傾聴してもらった時、水中にいるような一瞬空気が止まったような、なんだこの静寂な世界はという感覚がしたことを覚えています。自分のこだわりが足を引っ張っていることに気がつきました」
「当たり前のようにたくさん話をさせてもらいましたが、自宅に帰って友人に話したら、こんなに初診でじっくり聴いてくれてきちんと評価してくれるところは他にないよって言われました。本当にありがとうございます」
こんなありがたい感謝の言葉をいただきました(ご本人たちのお言葉其のまま)。
その他にもお褒めの言葉を頂戴しました。
俺ってすごいぜ!
あれ?なんか違いますね、そういう話ではありませんでしたね。。。
これはうぬぼれに近いかもしれません。
うぬぼれはよくありません。
すみませんふざけてしまい、ちょっと照れ隠しです。
これからも健康に気をつけながら、しっかりとした診療を行なっていくという今までの方向性でやっていきたいと思っています。
さて、冒頭の「自己肯定感」。
やはり生育環境の影響は大きく、親からの心理的虐待など受けてきた方が「自己肯定感が低い」大人になりやすいと感じています。
虐待の難しい問題は、「こんなことをするひどい親」なのだけれど、「やっぱり親に愛されたい、認められたい」「親だから嫌いになれない、親のことがどうしても気になる、親を否定しきれない」という葛藤が生じやすく、自分自身のあり方に混乱が発生してしまうことです。この矛盾した葛藤があるからこそ虐待の問題は苦しいのです。これは人生の長い間の課題となります。
こういった被虐待の問題を抱えた人たちが、その苦しみから抜けるためには、一旦「親は自分の望む形では愛してくれないのだ、事情があってそういうことができない人なのだ」と親に期待することをいったん諦めることではじめて再生が始まります。
自分の頭の中、心の中に棲みついて、「自分を否定する、責める、見捨てる親」の存在に気がついて、自分なりの親との適切な距離を見直す必要があります。
例えば、親とはお盆と年末年始にしか会わない、年に1回連絡を取るだけにする、別居する、
あるいは一切関わらない、そんな選択肢もありだと思います。
自分でどのような距離を保つか選ぶのです。
そこからはじめて辛かった自分を慰め、癒し、育てて再生することが始まります。
そういった一連の再生を支援するために「心の安全基地」が必要となるのです。
患者さんのことをしっかりと理解し患者さんの持つ本来の良さをきちんと評価してあげる「心の安全基地」となることが開院のテーマでした。
10年ほど前のブログに書いたかもしれませんが、当院のロゴマークはそのような意味を持っているのです。
当院で全ての方を受け入れることができないのは心苦しいのですが、多くの方に「心の安全基地」を実感していただけるようになったことはこの上ない喜びです。
いつもありがとうございます。
https://www.uta-net.com/movie/3150
ちなみに親子関係のカウンセリングなどは当院ではやってませんので悪しからず。
虐待親の治療も行なっていません。
治療対象となる症状を抱えた方々の背景にある問題を、診察の中でタイミングを見計らってご指摘したり、助言したりしながら症状の改善を目指すのが当院の治療となります。
開院時にいただいたエバーフレッシュ、
こんな花咲いてます。
綿菓子みたい。
彼は薔薇のプロで、ご自宅はこんなんなってます。
薔薇といえば、
今年はたまたま与野を通りがかったところ、
人の流れがいつもと違うと感じで、
薔薇祭を思い出し立ち寄ってみました。
伊奈の薔薇も良いけれど、こちらも負けず劣らずでしかも無料。
駐車場は少ないので要注意ですが、さいたま市のアイドル観光大使のブルームのパフォーマンスや屋台も充実していて、お祭りとしてはとても活気がありました。
与野の医療機関で勤務していましたが、
与野って独特の雰囲気があるんですよね。
わりと平和主義かな?
商人の街 大宮と文京地区の浦和で、
どちらが偉いか攻防が繰り広げられてきたのですが、
その中間地点にある与野が、「まあまあ」といってなんとなくおさめました。
新都心という形で行政機関を設置し、アリーナやけやき広場のイベントなど盛り上がってきているのです。
今日からまた新しい公務を委嘱されました。
身体障害、知的障害、精神障害の方の総合支援についての審査を行います。
元医師会長が進行役をお務めいただき、マッハの速度で審査会が進んでいきました。
勤務医のときはほとんど関わることはなかったけれど、医師会では地域貢献が必須となっています。
とにかく時間が足りない中、準備が大変です。
名誉欲も出世欲も全くない私にとっては、公務漬けになることは自己実現の足枷にしかならないので、正直やりたくはないのですが、
引き受けた仕事はいつも全開です、笑。
ところで、医師会がなくなったら、このような地域のための公務って誰がやるんだろう?
素敵な花をありがとうございます。
がんを克服されて良かったですね。
こちらがお花をお贈りすべきでしたね^^;
クリニックにあったカジュアルな花瓶に生けてみました!
芍薬は大好きで毎年買ってましたが、今年は値段が高騰してちょっとしか買いませんでした。
こんなにたくさんありがとうございます。
何かお役に立てていたのならば、本望です。
一方で、この一年でお二人の方が、がんの悪化で通院が途絶えてしまいました。
東大を出て東大の教授を務め上げられた先輩や、森田療法の大家のところで修行されていた先輩。
私が「先生」とお呼びすると、「やめてください、ここではあなたが先生です」と謙虚に受診してくださっていました。
私のほうこそいろいろなお話を伺えることを楽しみにしていました。人として尊敬しておりました。
さびしいお別れもありましたが、繋がりを大事にしていきたいと思っています。