上尾メンタルクリニック

八木 上尾メンタルクリニック

9月 1, 2023

カウンセリングと精神科の診察の違い。 編集中

患者さんに「カウンセリングを受けてみたい」と言われました。

昔勤務していた病院で主治医ではなかったのですが、何度か診察したことがあり、私を頼って当院に転院してきた患者さんです。

当時は生きる力もなく、閉鎖病棟の保護室で隔離されているほどの重病でした。まだまだ年齢も若く、なんとかしてあげたいと思い、主治医の先生と力を合わせてあれこれと支援してきました。当時私はヨガやマインドフルネスに力を注いでいたので、3人で体操のようなことをしていました。当時の院長にはとても馬鹿にされましたが、時代を先取りしすぎると理解されないので「この人にはまだわからないのだな」と気にしないようにしていました。

上尾メンタルクリニックではカウンセリングを行なっていないと明言しているのですが、15年も知っている患者さんで、ある程度カウンセリング的な要素も必要な方でしたので、特別に通常の診察に加えて時間枠を決めない限定的なカウンセリング(無料)みたいな形でずっとやってきて、だいぶ良くなってきた方です。

ですので、「カウンセリングを受けたい」と伺った時は、「え?通常の精神科診療ではこんなにじっくり対応することはあまりないのに、もっと長く話を聞いてほしいということ?ちょっと欲張っているのではないかな?精神科診療の現実を知らないのだな」とびっくりしてしまったのですが、純粋にカウンセリングってどんなものなのだろうかと興味を持ったようでした。結局他でカウンセリングを受けるには自費で支払いが発生することをお伝えし、その方はほとんど収入がない方だったので、そのままの治療を継続することで納得されました。

このケースに限らず、特別待遇をしている方は、現実的な視野からずれてしまうことが少なくなかったので特別扱いすることはやめるようにしています。

 

そこで、診察とカウンセリングの違いを説明してみようと思います。(長文苦手な方はこの辺でおやすみなさい)

まず、診察は医療行為です。

診断と治療により構成されます。

まずは診断。

あなたは〜病ですね、と診断する資格。これは医師の特権となっています。

カウンセリングで心理士さんが病名を診断して告知することはできません。

次に治療。

薬を処方する権限、これも医師のみの特権となっています。

精神科ではあまり手術はしませんが、手術も医師の特権です。

転倒して頭を怪我してしまいパックリ傷ができている際は精神科医でも縫合手術はします。

まあクリニックを開業してからはやらなくなりましたが、病棟勤務医必須の技術です。

薬は効能と副作用、相互作用、分量調整など詳しい知識が必要です。間違えば副作用で命を落としたり重大な後遺症をもたらす可能性もあります。毒物にもなりうるものを、有益性が上回るように使用するのです。

医療行為でない形で人に薬を飲ませたら傷害罪です。

手術はどうでしょうか?

メスで大事な血管や神経を切ってしまったら大変です。

医療行為でない人がメスで人を切ったら傷害罪です。

資格のない人にやらせてはいけないという考え方は自然かと思います。

 

もちろん、医師の国家試験というのは医療行為をやっていいという最低レベルの資格ですので

その中での知識や技術の差はありますし、ミスも生じ得ます。

 

いずれにせよ、間違えば人体に大きな危険をもたらす可能性がある治療行為に関してはカウンセラーはやってはいけない、医師のみの特権となります。病気を診断して、薬の処方などを行い、症状を軽減することを目的とするのが診療です。

 

現状のシステムでは、精神科では初診は30分以上が基本となっています。30分以上、60分以上の2段階で診療報酬が定められていますので、通常は30〜60分程度の初診診察が一般的かと思います。症状に応じて生育歴の聴取、症状経過の把握、初期診断、初期治療を手際よくやっても時間に余裕はありません。

再診では薬の効果や副作用、症状経過の把握、見立ての変更や処方の変更を含む治療の変更など5分〜15分程度が一般的です。国公立の病院や研究など採算度外視できれば30分程度かけるところもあります。一般の外来でも緊急時の対応などで30分程度かかってしまうことはありますが、他の患者さんの待ち時間が長くなり外来は大混乱します。医師は時間と格闘しながら、話を切り上げたり、診察を短時間でまとめる能力が求められます。事故がないようにその場で結論を出さねばならないことも多いので、集中力が必要です。その点入院診療の方が重症患者対象ではあるものの、病棟医の方が時間的な猶予ややり直しができることもあります。(脱線すみません)

診察費用は診療報酬の規則に合致していれば保険診療として認められ、料金が全国一律で定められ、さらに自己負担割合が3割、2割、1割、0の方がいます。世界的に見れば、比較的一定レベルの質の医療を安価に受けられるという恵まれた制度になっています。例えば初診で専門家と30分から60分話をして(コンサル)5000円程度で収まるというのは他に類を見ない安さだと言われます。

もちろん、高度な医療を自費で提供されている医療機関もあります。経済的に逼迫した方は治療を受けられませんが、高度な医療技術を発展させていくという意味では大変存在価値があります。対人関係療法の大家の先生の初診は1回10万円くらいだったと記憶しています。

 

では、カウンセリングは何ができるのでしょうか?

私なりの考え方を示したいと思います。(色々な種類のカウンセリングや考え方があると思います)

カウンセリングは現時点では医療行為ではありません。

臨床心理士や公認心理士などの資格はありますが、資格なしでカウンセリングを行なっても良いことにはなっています。

 

カウンセリングは、日常生活の困りごと、対人関係、人生相談、親子関係、夫婦問題、学校生活、職場生活、性格のことなど、診察と比較して「病気の診断や治療」以外の病気のことなども含め比較的幅広い相談をすることができます。生きづらさの軽減などを目標に、何時から何時まで30分、50分などと時間の枠をしっかり定め、お話をしながら整理していきます。薬以外の方法で困り事の解決を目指して行きます。生育歴をたどり、親子関係を振り返って現在の対人関係の問題点の原因を探ったり、考え方の癖に目をむけ、もっと幅広い視点になって問題解決ができないか材料集めをしたり、通常の診察よりも深く細かいお話ができるかもしれません。

色々な手法があります。

一部を除いて基本的に保険診療には該当しませんので、自費でカウンセリング機関が自由に費用を設定できます。現状では1回5000円から10000円程度が一般的ではないかと思います。精神科医がカウンセリングを行なっているところは50分1回1万8000円〜2万円程度というところがあります。これでも海外から見たら決して高価ではありません。

ただ、カウンセラーの技量は精神科医の技量の優劣よりもずっと幅があり、完全な素人さんがやっているところも少なくありません。

規模の大きいクリニックのグループが大量に雇っている未熟なカウンセラーが、30分間ただ相槌を打っているだけということもあります。話を聞いて欲しいだけなら問題ないマッチングですが、真剣に自分を変えたいと思っている人にとっては時間とお金の無駄になります。

奉仕や福祉の精神が強い医療機関では、保険診療である「精神療法」の中で、カウンセリングを行なっているところもありました。私が修行していたクリニックでは、本格的な心理士のカウンセリングを医師の診察とセットにして保険診療の精神療法に組み込んで行なっていました。診察だけなら精神療法分6分間、カウンセリングを合わせて精神療法30分以上、その診療報酬の差額が700円。700円のうち例えば自立支援利用で1割負担なら70円。70円でカウンセリングが受けられるように調整しているのです。ボランティア以外の何物でもありません。

医療経済も厳しくなり、最近はそのようなところはほとんど見かけません。

以上、精神科の診察とカウンセリングの違いをまとまりなく(笑)列記してみました。

 

ただ、精神科の場合、診察の中でも生育歴や対人関係などの問題に触れないわけにはいかない場面もあり、線引きは難しいのは事実です。医師の裁量でどこまで関わってあげるのか異なってきます。

 

ひとつ大事なことを言い忘れました。

初診は患者さんと治療という戦いを一緒に仲間として続けることができるか、きちんと評価し、目的を共有するという大事な場面です。

忙しい医師がじっくり話を聞いて診察するのは大変なことで、

心理士や看護師あるいはPSWが予診としてじっくりお話を伺い、それをまとめて初診医に報告し、その情報をもとに診察を行っているところもすくなくありません。

医師への負担を考えるととてもリーズナブルなシステムではありますが、当院あるいは私が尊敬する医師のクリニックでは医師が初診では直接全部お話を伺います。診断と治療を行う医師が背景にある状況を患者さんから(話し方や感情の込め方も含めて)問診することでより深い診療ができるというメリットがあるからです。

体力の限界が来るまでは私は自分で最初からお話を伺って初診を完成させていこうと思っています。

予約なしですぐに診察してくれる医療機関の中で3分程度問診票を見て、適当にベンゾジアゼピン系の薬づけにするという危険なクリニックが存在します。同業者、他の科の先生方からの精神科批判の原因となっています。

 

一方で、診察時間は長い方がいいのか?という問題も大事な話です。

病気の中には診察を長くしてはダメ!なものもあります。

代表的なものは複雑性PTSD、発達性トラウマ障害です。

長年の虐待や暴力に晒されて心に傷を負い、対人関係や情動制御が困難になっている病気です。

これは初診の段階で生育歴や家族歴を聞かないと正しい診断に辿り着けないかもしれません。

小さい頃から風呂に逆さに沈められた、母親が父親に殴られるのを毎日みていた、父親が包丁を向けて殺してやるとしょっちゅう叫んでいた、いつも殴られていた、母の再婚相手に性的な行為を強要された、お前なんか産まなければよかった、死ねばいい、。。こんな毎日を繰り返し、心は傷だらけです。痛みを感じないように心の傷の記憶に蓋をして生き延びています。

こういった人に対して、漫然と長時間のカウンセリングでずるずると昔の記憶を語らせたり、引きづり出してしまうと、傷の蓋が開いてしまい、当時の恐怖や混乱などが流れるように出てきてしまい、錯乱状態や精神病状態のようになって取り返しがつかなくなったり、どんどん病状が悪化することがあります。

トラウマをきちっと処理する治療を行う以外は、ダラダラ長時間の診察やカウンセリングをしてはいけません。

大体こういう方は生活がめちゃくちゃです。

朝は起きて太陽を浴びること、朝飯は食べること(食べない人はやはりあまり良くないですね)、風呂で温まること、夜はスマホやPCをやめて床につくこと、寝るための酒は飲まないこと、こういった基本的なことを繰り返し指導することを優先します。

それだけでも症状が安定することがあります。

心の蓋が開いてしまった場合はカウンセラーにはどうすることもできません。

トラウマ治療のトレーニングを受けている精神科専門医であれば薬などを使って蓋を閉じることもできます。

 

ですのでカウンセラーにトラウマ治療を任せているクリニックがあった場合、トラウマ治療に精通した医師が監督していなければ危ないことが起きることがあります。蓋が開いたまま混乱し自死してしまうというケースはありえます。

 

どうでしたか?

なんとなく診察とカウンセリングの違いわかりましたか?

自分がカウンセリングを受けたいと思っても適切でない場合があるし、

診察を受けたいと思っても、相談内容が医療よりももっと幅の広い内容のためカウンセリングを勧められることもあります。

話をきいてほしい!という内容が病気なのか相談なのか愚痴なのかなどで医療なのかカウンセリングなのかもかわります。

話をきいてほしくても聞かないほうがいいこともあります。(このへんは患者さんはご理解いただけないことがおおいです)

この辺のミスマッチで当院でお断りすることもあるのです。

 

 

 

長文すぎるので、時間があったらまとめたいとおもいますが、できるかな〜?

 

 

 

 

 

 

 

 

8月 31, 2023

バスケに興奮。

今日はまとまりがないかもしれません。

スケジュールを詰め込みすぎて疲労困憊です。

 

テニスを習い始め3−4ヶ月経ちましたが、昇級を許可され今日からワンランク上のレベルのクラスに進級しました。

ベテランコーチの説明がすばらしく、頭で納得しないと先に進めない私にはピッタリです。

しかしサービスの時に若干肩の痛みを覚え、五十肩が心配です。

運動量が増えてたっぷり汗をかきました。

コーチおすすめのピンクイオンというスポーツドリンクが飲みやすくて良いです。

屋外でハードに運動する人はスマッシュウォーターが脱水予防に良いらしいです。

(ただし高血圧や腎機能障害のある方は内科主治医とご相談ください)

 

ハードなスポーツといえば、バスケットボール!

日本対ベネズエラをTV観戦。

レフリーが若干ベネズエラよりに見え、負けてしまうかな〜なんて思っていたら最後逆転勝利。

興奮しましたね。

 

私の青春のエネルギーを注ぎ込んだバスケットボールですが、こうしてみるとバスケの技術も戦術も習ったことがなく

いったい何をやっていたんだろうかと残念に振り返ります。

 

今からでも一から習ってバスケを楽しみたいと思うようになりました。

おっさんを一から教えてくれるスクールなんてないですかね?

社会人バスケとは趣旨が違うのです・・・

 

話は変わりますが、今日は杉山登志郎先生の発達性トラウマ障害のご講演を拝聴。

2022年のICD11で初めて複雑性PTSDという診断名が定義されました。

私も杉山先生同様10年以上前から発達性トラウマ障害、複雑性PTSDという診断名を使っていました。

適応障害やPTSD、うつ病などとカテゴライズするのには無理があると感じていたからです。

時代を先取りしすぎて、藪医者扱いされた時期もありました。

 

発達障害に関しても随分前からASDーADHDスペクトラムという診断名を私は使っています。

感覚過敏が主体の発達障害を私は過敏症スペクトラム(カテゴリー診断ではありますが)と命名したり、より臨床に則した診断と治療をしていきたいと思っています。

埼玉県での書類提出だとある程度許容してくれるのですが、先日静岡から通っている人の文書を作成したら、静岡の役所でははねられました。

地域性はあるかもしれませんね。

 

ともかく、杉山先生のご講演はとても学びのあるご講演でしたので、復習して内容をまとめたいと思いました。

 

本気で精神科医療に向き合っている先生がどんなことをやっているのか、特に脳外科、神経内科、内科、産婦人科の先生方、精神科の門前ではない薬局の薬剤師の方々に読んでいただきたいと思います。

 

生育歴も聞かない3分初診で「デパスを好きなだけ飲んでいいよ」とか「ソラナックスを好きなだけ飲んでいいよ」

などという出鱈目な診療をずっと続けている精神科医は、プロの精神科医ではありません。

精神科医は皆同じではないということをわかってほしいと思います。

 

 

 

 

8月 31, 2023

タレのうらみ。

売却問題で西武そごう百貨店が揺れています。

百貨店は地域の顔です。

そごうは大宮西口の顔と高島屋は大宮東口の顔、まるひろは上尾の顔です。

なんとか存続して欲しいと思っているのですが。

 

そんな雲行きはどこふく風、

そごうに高級ハンバーグやステーキで有名なミート矢澤が本日上陸。

5−6年ぶりにミート矢澤のお弁当を買いに行きました。

日々頑張っている自分へのご褒美に(笑)、ダイエットのこともすっかり忘れ(おいおい)、最初で最後かもしれない一番高価な弁当を購入しました(大丈夫か?)。

店員さんに「特別なタレを袋に入れておきます!」と言われ、

ワクワクしながら帰宅後楽しみに開けると・・・

 

タレがない!

ない!

どこにもなーい!!

 

夜になりそごうもすでに閉店しているし、弁当は今すぐ食べないと意味がないし・・・

ショボーン・・・

 

まあ肉は美味しいし味もついていたので

問題なかったのだけれど、

なんか、気分的に美味しさ半減。

ショボーン・・・

 

サラダ惣菜のRF1でも度々ソースを忘れられます。

ゆずソース!フランボワーズソース!

とかソースに釣られて買ったのに

帰宅するとソースが入っていない!

保冷剤よりソースを入れてくれ。

これといった特徴のない野菜をソースなしで味がないまま食べるのです。

夜なので閉店しているし、どうにもならない・・・

 

結構お高いサラダだったのに、味も素っ気もなく

寂しさが込み上げます。

頼むよ、ソースがいのちの商品なんだから・・・

 

タレの恨み

だって器が小さいから

上尾みつを。

 

8月 27, 2023

大谷翔平君モデル。

最近ベッドのマットレスが硬いなーと感じ、気がついたらかなり長いこと使っていることに気がつきました。コイルがへたっているのだと思います。

睡眠環境を整えることはとても大事です。

そこで、西川布団の西川エアーマットレス、大谷翔平君モデルの寝心地を確かめに銀座へ。

久々の銀座ですが、行き交う人々はほとんど中国語をしゃべっているようです。

ついでにヒューゴボスの大谷翔平君モデルのスーツも試着してみました。

君呼ばわりするような関係性ではありませんが、皆さん大谷翔平君と親しみを込めて呼称しますよね、お許しください。

スーツはカッコいいのですが、私には似合いませんでした。

大谷翔平君はクリスマスイブから大晦日まで担当者と連絡を取り合い、大谷君が着たいスーツを選んだそうです。

メーカーからの提案というわけではなかったそうで、大谷君のこだわりを感じますね。

なんでも追求するタイプなんでしょうか。

 

 

8月 23, 2023

優勝おめでとう!

高校野球、にわかファンです。

慶應高校が優勝しました。

大学受験組なので母校と言って良いのかわかりませんが、

こういうときだけ“母校”ということで、笑。

実際は校歌も知りません。

私には1ミリも関係ないといえばないですが、笑。

ちなみに慶應関係者は、慶應高校とは言わず、塾高と呼ぶようです。

 

たまたま14時から17時まで時間が空いていて、

試合開始から終了までバッチリTV観戦できました。

選手たちが野球を楽しんでいる様子が良かったですね。

丸坊主でない選手も新鮮でした。

慶應は野球推薦枠がないので、推薦枠の人も内申点や選抜が要求されます。

バランスよく頑張るのは結構大変ですよね。

それ以上に、敗退した仙台育英の選手が慶應に拍手をしていたのも印象的だったかもしれません。

 

若者が育っていく環境を守りたいと感じるひとときでした。

 

貧困や

虐待をなくしたい。

 

ということで、

見知らぬ苦学生のために、奨学金基金に寄付をしました。この奨学金基金は国公立、私立を問わず、世帯収入が著しく低い貧困世帯の、かつ、極めて優秀な学生を対象とした育英基金です。

今後もできる限り頑張ろうかな。

とてもオーバーなお礼状をいただきましたが、

フィードバックがあるとこちらも嬉しいです。

 

こういう行為は私にとっても自己肯定感を高めるために役立っています。

 

ゴミ拾いでもいい、

次の人のためにドアを支えるでもいい、

 

ちょっとしたことで自己肯定感は高まります。

 

 

親切のバトンを渡すことができれば、

世界は滅びないかもしれません。

 

 

 

 

 

8月 22, 2023

今日の研究会。

今晩は慶應認知行動療法研究会。

中立性、受身性、自己開示の問題について学びがありました。

腰痛が少し良くなったので、その後夜のジョギング、という名の散歩で一汗かいてきました。

今日は蒸していますね〜。

8月 20, 2023

ぐーたら寝て曜日。

昨日の診察で、患者さんに言われてはじめて気がつきました。

「先生、疲れてますね」

はっと我を振り返り、

確かに疲れていると気がつきました。

声や表情に出てしまっていたのですね、ごめんなさい。

 

実は前日から腰痛で、痛み止めを飲みながら仕事していました。かなり痛かったので集中力が下がったり、疲労感が強かったように思います。

 

今日はテニスを休むことにしました。

 

日向ぼっこしながらデッキチェアでゴロゴロ横になってました。暑いですが、風は涼しさを感じます。

(残念ながら、画像は我が家ではありません。。。

でも、パオラレンティのアウトドア家具は素敵ですね)

 

今日はお仕事の電話やらあちこちから連絡が入ります。

お盆だからか、しばらくぶりの方からも。

 

たまたま小児科医2人から連絡あり、1人は国立のセンターで超専門外来、もう1人は野戦総合病院勤務。同じ科でも全くやっていることは違います。

睡眠の検査をしたいと言うので機械の使い方をビデオに撮って送ってあげたら、、、

 

「誰、これ?」って。

 

「お、れ、だけど、、、」

 

「もっと、シュッとしてたよな?」

 

そ、そんなに?

誰かわからないくらい?

 

今すぐにでも筋トレしたい衝動に駆られたものの、腰痛で動けず、、、

 

まあ、テニスのためにも痩せて軽やかになりますよ!

絶対!

きっと、、、

たぶん、、、

 

 

仕方ないじゃないか。

おっさんだもの。

上尾みつを。

 

 

8月 16, 2023

自己肯定感。

自己肯定感。

「自己肯定感が低いから・・・」「自己肯定感を高めるには・・・」

当たり前のように使われる言葉で、なんだか人の心理がわかったような気になる言葉。

(画像と本文はなんら関係ありません、笑)

 

 

今日患者さんからご質問をいただきました。

「自己肯定感が高まった経験があって、それが自尊心の肥大につながって躁状態になるのではないかと心配でした」

「自己肯定感と肥大した自尊心てどう違うのでしょうか?」

 

「自己肯定感」って、「このままでいい」「良いも悪いもふくめて今のありのままの自分でいい」

天才バカボンの「これでいいのだ」(古いかな?)

そういうニュアンスです。

自己肯定感が低ければ他人にどう思われているかとても気になります。

 

一方、「肥大した自尊心」というのは、「うぬぼれ」と言い換えられると思います。

「自分は特別だ、もっとすごい人間だ」と思い込んだ状態です。

「現実の自分は不十分であり、そんな自分は存在価値がない」という不安から目を背けるためにヨロイをかぶって自分の心が傷つかないように守っている状態です。

現実と高いプライドとのギャップを他者への攻撃性などで埋めようとします。

 

ちょっと難しいですか?

この辺のことをわかりやすく解説してある本をご紹介します。

インスタなどのSNSでは、マウンティング、妬みや攻撃性であふれ、人々の心がむしばまれています。

これらに関連する「自己肯定感」「自己愛」「自尊心」などについて見直せる本です。

 

 

ちなみに私は医師として人間として「このままでいい」とは全然思っていないし、

その一方で、贈り物のセンスとか抜群にいいなと自分で酔いしれています。

 

別にいいじゃん、

多少の自惚れ、劣等感。

未熟なんだもの。

上尾みつを。

8月 11, 2023

感想文。

私の夏休み1日目。

久々の映画鑑賞。

宮崎監督の「君たちはどう生きるか」。

 

題名からは若者向けの映画だろうと思ったが、

思うところがあったので、

何かヒントが得られないかと

映画館に足を運んだ。

 

こういうのって観た人が自由に受け取っていいのでしょ?

小学生の感想文的な感じで書き留めておく。

(これから観る方は読まないでくださいね)

 

人は生まれつき善なのか悪なのか、ぼやっと気になっていた。

 

映画の題名は、もともと同じ題名の本から由来するそうで、

映画でも主人公が叔父さんに生き方を教わりにいくという設定になっている。

 

「悪意のない石」を積んでいけば、世界の崩壊を先延ばしにできるかもしれない、

そのように叔父さんは主人公に伝えている。

「悪意のない石」は「悪意のない意志」と聞こえたような気がした。

 

しかし、悪意のない石をどれだけの人が持っているのだろうか。

この映画が作成されたのはプーチンが侵略戦争を始めた後なのか私は知らないが、

世界が悪意に覆われようとしている今、

性善説と性悪説が頭をよぎる。

 

エロスとタナトス。

生の欲動、死の衝動。

性の喜び、破壊や攻撃衝動。

フロイトさんがどのように考えたか、それは今回無視する。

 

「人はなぜ生きるのか?」

「生きる」に「なぜ」というものはない。

プログラムされた生存本能、生存欲求に従って生きているだけであって、なぜはない。

生きることが辛い時、意味づけをしようと人びとは色々考えてきた。

哲学や宗教など。

 

これは情緒的なことは一切排除した解釈である。

 

動物の生存本能として生きる。

子孫を残そうと生殖活動をする。

より良い遺伝子を残そうと、生存競争が生まれる前から始まっている。

競争はやるかやられるか、勝ち負けが常にある。

生きるためには、蹴落とす。

獲物を食う、天敵をやっつける。

タナトスエロスは表裏一体だというけれど、私のイメージは並列して同時に存在する感じ。

生存本能と生存競争。

 

生存競争は「悪意」の要素でもある。

「マウンティング」も「妬みによる攻撃」も生存競争の悪意か。

生存競争の悪意を抑えて、集団の力でみんなで生き残ろうとするのが前頭葉の社会性の働きである。

道徳心も前頭葉の働き。

分業して協力して助け合い食べ物を分かち合う。

 

これは本能ではなく、生存のための戦略、高等な機能として発展させてきたものだと思う。

生存競争の本能がむき出しになると、「悪意」が蔓延る。生まれつき前頭葉の働きが弱くて犯罪を繰り返してしまう人もいる。

 

誰かが、「プーチンは不安に怯えた可哀想な人」と言った。

加害者支援という動きがあって、理屈的にはわかるけれど、

本当にプーチンを支援すれば戦争をやめるのであろうか?

悪意と善意の間でまだ定まっていない、感受性のある段階で、人(親がダメなら、近くの大人、親友、恋人)から「良い物=温かい愛情」を与えられれば、善意の石を持つこともできるかもしれないが、出来上がった大人になってから変わるのは容易いことではない。

だから私は戦争も意地悪もネットでの誹謗中傷もこのままでは無くならないと悲観している。

ネットでの匿名での誹謗中傷は、本能の悪意を刺激する最もハードルが低い方法だと思うので、まずはこれを止めることを考えてみてもいいのではないか。

表現の自由という正論を振りかざしていても、実際は戦争と変わらないことをやっている自覚をもたせることが必要だと思う。

 

8月 2, 2023

今週の読書。

水島広子先生。

大学、医局のパイセンでいらっしゃいます。

水島先生のお家柄は皆様ご存知かと思いますが、私は最近まで知らず、驚いた次第であります。

水島先生のご著書は大変チャレンジングでインパクトのあるものが多いと感じます。

小此木先生のご著書同様、今の時代ではなかなか言えないような真実をずばりと書かれているので、そういう意味でも貴重です。

水島広子先生とは大学医局の入局歓迎会か何ではじめてお会いしました。どなたかまだ存じ上げない初対面の段階で、いきなり男女共同参画に関する署名運動に署名するようご依頼いただきました。面食らっておろおろと署名しました、笑。

その後の衆議院議員としてのご活躍は目覚ましく、児童虐待防止法改正などで力を発揮され、私は水島先生とジャンヌダルクを重ね合わせておりました。

この本の中で表現されている「女」は女性という意味ではありません。男性でも、あるいはそうでなくても良いのです。水島先生を知っている方ならば水島先生が女性差別的な発言をなさることはないとお分かりだと思います。

嫁姑関係、会社の上司や部下、同僚との関係、ママ友、実の母との関係などさまざまな対人関係における困りごとに対するアドバイスが書かれています。

対人関係療法のスペシャリストである水島広子先生がズバッと答えてくれます。

上尾メンタルクリニックではこういった対人関係のカウンセリングを主訴とされる方の初診はお受けしていないと明記しています。

しかし、病気の治療をしていく中で、患者さんの周りにいる「女」(この本の表現)との対人関係の悩みのご相談を受けることは避けて通れません。

当院では私がアドバイスするというより、一緒に考えるというスタンスに重きを置いておりました。

この本に書かれてある対処法も選択肢の一つとして患者さんと共有できれば、安全基地としての機能が高まりそうですね。